設問) なるべく前からの経緯を晒しながら意識に対する思索を語りなさい | ihsotasathoのブログって言うほどでもないのですが

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twitterで書いたことをまとめたりしていましたが、最近は直接ココに書き込んだりしています

「時々思い起こすといいんじゃないかしら。初心忘れるべからずとも言うしね」
『そうわんね』
「そこで設問。なるべく前からの経緯を晒しながら意識に対する思索を語りなさい」

中学生の頃は物理学が進めば世界が何なのか解ってくると思っていました。その頃は量子の規模で不思議な事が起こっており謎が多いと知ったので、量子の世界を明らかにしていくべきだと考えていました。

高校生になって、全てを方程式で表したとしてもそこには自分の知りたいものが無い気がしてきます。むしろ物理学なんてものを考えてしまう脳なんてどうしてあるのか、そっちの方が気になりはじめました。
世界は人間の数だけ存在しています。それぞれの人間によって捕らえられた世界は、それぞれ人間の脳にしか存在しないのではないでしょうか。数学という世界も、物理学という世界も、それぞれの人間の脳を頼りに構成されているにすぎないのではないでしょうか。言葉は多くの共通したものを与えてくれはしますけれど結局は。

記号や図で証明された真理たちは人間が居ようと居まいと、表現方法もどうであれ、存在しているでしょう。けれども自分の興味はそうした真理を見つける事とは違い、その真理を真理だと体感できる仕組みそのものに向いてしまったのです。
そんなわけで興味が脳へと移ります。そしてコンピュータを使って脳を真似ることが、自分の明らかにしたい事に一番適った近づき方ではないかと考えるようになっていきました。

「残念ながらなってしまいましたー、ではないの?」
『はいはいそうですねー』

大学の選択は難しものでした。勉強の出来が良くなかった事もありますが、そもそも「今感じているこれら」を物理学のように扱う分野がありませんでしたから。研究者の多くは裏では意識について知りたいと思っている雰囲気を醸していたものの、どうやらおおっぴらに研究対象にしているとは言えない時代だったようです。しぶしぶ人工知能関連に力を入れていそうな学科を選んで進学しました。

当時の神経細胞の模型は神経細胞同士の繋がり方に着目して作られている場合が大概でした。けれども自分は繋がりだけではなく、そこを流れている信号そのものに注目すべきだと考えていました。なぜなら「今感じているこれら」は神経細胞のネットワークを信号が流れている時に起こっており、ネットワークのつながり方だけでは再現し得ないと感じていたからです。当時の脳関連の書籍や論文からもそうした匂いがなんとなくしていました。
自分が院生の研究にパルスニューラルネットを選んだのも、流れている信号に着目したモデルだったからです。ただパルスニューラルネットを使ってやれた事といえば、数個のパルスニューロンを相互に組み合わせてカオスが出てくると示したところまでで、意識に踏み込むなどまるでできませんでした。

院卒後、意識の研究ではご飯は食べれないと思って就職します。実験する時間もなかなか確保できない中、それでも少しずつ理論的な枠組みを考える事にしました。学会とか雑誌などの締め切りが無い分、自由に思索できたところは良かったと思っています。確保できる時間は決して多くないけれど、ゆっくり考える事ができたのです。ただそうした自由にも悪い面があったと思っています。孤立しているゆえに人から叩いてもらって洗練化できないとか、縛りがなくて全体的に緩いとか。
いずれにせよ、大学院当時から気にしていた結合問題を中心に据えて、脳を流れる信号自体にどんな性質が備わっているべきか考えてきました。

今の所、神経細胞を伝わる信号そのものに、特殊な構造があるという仮説を立てるに至っています。この構造があるため、ある条件が揃うと外見上バラバラになっていたとしても、構造に収まっている情報に基づいて整理整頓され、知覚される内容としては結合されると考えています。この構造に名前を与えてカプセルと呼ぶ事にしました。カプセルの中には過去に影響し合った相手のカプセルの名と影響しあった順番が履歴として残っています。

神経細胞ネットワークを信号を流れる時、たくさんのカプセルが流れていきます。カプセル同士の相互作用があらゆる局面で起こり、カプセルの履歴により整理整頓が進みます。整理整頓はカプセルが持つ履歴に応じて、位置関係が矛盾しないような形で進みます。そして関係し合うカプセルが増えるほど広い範囲で整理整頓が進むことになります。もし自分を表すカプセルたちと絡むと、自分を中心とした今が意識として立ち昇ります。ざっくりではありますがそう考えています。

「整理整頓が進む場合とそうでない場合があるって事かもしれないけどね。あなたは今その事についてはあまり考えていないようだけれど」
『むむむ』

従来の神経細胞ネットワークの模型は、電気的な流れの方向、強さ、流れの継続や中断を加味していますが、流れそのものに複雑な構造を内包させる所まではしていません。価値のある模型とは必要最低限の材料で構成されているものです。余分なものがない方がいい模型なのです。従来の模型もある種の情報処理を表現するなら信号の中身の構造まで考えずとも十分だったのです。ただ「意識」を考慮するなら足りないという事だと自分は思っています。「意識」について考えるなら、模型にそれを取り込まなければならないと思ったのです。

今はカプセルの仮説がどこまで通用するか確認したくなっています。確認するためにはコンピュータ上に模型を組み立て、実際に「意識している内容」を予言してみたいと思っています。
この予言の成功をもって、カプセルの仮説が通用すると証すわけです。

ちなみに模型が算出できるのは記号列であって意識の内容そのものではありません。そして確認は、次のように行います。
ある一人の人間の脳の構造や結びつきだけを真似た模型を用意します。そして参考にした人間と模型に同じ内容の刺激を与えます。そして人間が意識した内容と、模型が導出した記号列を対応付け、何度か施行して再現性を確認します。人間が意識した内容と模型が導いた記号列との関係に再現性が高く現れば現れるほど、模型の妥当性は高くなると考えます。

「難しそうよこれ。模型が導出した記号列のうち関係するのはごく一部かもしれない、っていうか間違いなくそうなるはずだし」
『そうわんね』

とは言え、カプセルが行う演算を脳という自然に委ねる場合と、コンピュータの模型で擬似させるとではあまりに性能の差がありすぎて、リアルタイムの評価など到底難しいと思えてきました。プログラムを組み始めてすぐ、ぞっとしました。

「あれ?そんなにプログラム進んでないんじゃない?早くしないと脳の物理構造の解析技術が、あああっという間に向上して、一瞬でわかるようになってしまうわ。実験するタイミングを逃してしまうかもよ」
『そうわん?』
「ていうかプログラム組む前からぞっとしていたし」
『それはそうわんね。自然界の整理整頓能力は絶大わん』
「ま、カプセルみたいなものが本当にあればという事でしょうけど」
『そうでしたわん。調子に乗りましたわん』