朝日が昇ってきた。

東下方の空から、春の趣きを感じる。


私たち自身の一番の願いは、

苦難から解放されて、

安らかな穏やかな時を過ごしたい事かも知れない。


けれども、


私たちを

愛してくださる神は、


苦難や試練を、

このうえない喜びとしなさいと、

語られる。

ヤコブ1:2


むしろ、キリストの苦難にあずかればあずかるほど、いっそう喜びなさい。キリストの栄光が現れるときにも、歓喜にあふれて喜ぶためです。1ペテロ4:13



2:8 また、スミルナにある教会の御使いに書き送れ。『初めであり終わりである方、死んでよみがえられた方が、こう言われる──。


2:9 わたしは、あなたの苦難と貧しさを知っている。だが、あなたは富んでいるのだ。ユダヤ人だと自称しているが実はそうでない者たち、サタンの会衆である者たちから、ののしられていることも、わたしは知っている。


2:10 あなたが受けようとしている苦しみを、何も恐れることはない。見よ。悪魔は試すために、あなたがたのうちのだれかを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあう。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与える。


2:11 耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。勝利を得る者は、決して第二の死によって害を受けることはない。



スミルナの語の意味は、


主イエス様が、


苦しみの果てに一人葬られたときに

覆われた「没薬」との意味だ。


主は、

私たちの存在の愚かさの、

すべてを担ってくださったのだ。


この天地の中で、

自分自身が一番大切、

お殿様やお姫様でありたいのだとの。  


今、私たちは何故、

このいのちを受けているのか?


天国での

やがてのその時を、

心から喜び合い、


愛してくださる神と。


親しい一人ひとりと。


私たちは手を取り合い、

顔を見合い、


そして、

微笑み合い、

共に居ることの喜びを。


神にあって、

叶えられる望みがあるゆえだ。


主は、

私たちに、この天の御国にある

「いのちの冠 」を、

無償で与えてくださる。


試練に耐える人は幸いです。耐え抜いた人は、神を愛する者たちに約束された、いのちの冠を受けるからですヤコブの手紙1:12


あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをみことばによって受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。1テサロニケ1:6



第二の死は、この世界を荒らしまわった悪魔が、果てしなく永遠に入っている場所だ。


そして、この第二の死に入る者は、反キリスト、偽預言者と、神は語られている。


永遠の滅びに至る者は、

すべての存在のもとである天地万物を

造られたお方のみが

知っておられるのだ。


主イエス様、

どうか私たち一人ひとりが、

死に至るまで、

あなたに忠実な者で在らせてください。


主よ。

憐れんでくださいださい。

御手に依り頼みます。


22:20 これらのことを証しする方が言われる。「しかり、わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。

 
22:21
 主イエスの恵みがすべての者とともにありますように。