リアルタイムでの被災現場の放映から、

自身も被害にあった人、手助けしている人のような気持ちになっている。


今日は1月17日.阪神淡路大震災のあった日だ。

当時の災害の悲惨な状況や被災された方々の

辛さを思い出す。


悲しみや苦しみ

痛みの多くの出来事を、

神は知っておられる。



私ヨハネは、あなたがたの兄

弟で、あなたがたとイエスにある苦難と御国と忍耐にあずかっている者であり、神のことばとイエスの証しのゆえに、パトモス島にいた。

10私は、主の日に御霊に感じ、私のうしろにラッパの音のような大きな声を聞いた。

11  その声はこう言った。「あなたの見ることを巻き物にしるして、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒィラデルフィア、ラオデキヤに送りなさい。

12 そこで私は、私に語りかける声を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見えた。

1:13 また、その燭台の真ん中に、人の子のような方が見えた。その方は、足まで垂れた衣をまとい、胸に金の帯を締めていた。

1:14 その頭と髪は白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は燃える炎のようであった。

1:15 その足は、炉で精錬された、光り輝く真鍮のようで、その声は大水のとどろきのようであった。

1:16 また、右手に七つの星を持ち、口から鋭い両刃の剣が出ていて、顔は強く照り輝く太陽のようであった。



しばらく前だか、
早く天国に行きたいと、
いつも思っていた。

黙示録を読んで、ヨハネが見た主イエス様のこの時の御姿を、色鉛筆で描きしおりにしていた。🔖

優しいイエス様ではなく、厳しくて叱られていて、見張られているような気持ちもあつたが、
この御姿は慕わしくもあった。

使徒ヨハネは、
「イエスにある苦難と御国と忍耐に預かっている者」(9節).と、
主の御声を聞き、
御姿を見る前に、
自分自身のことを語っている。

天国への凱旋ばかりを願っていた自身の
当時を思う。
悲痛な辛い出来事の只中で、
救われた者としての自覚が足りなかったのだ。

主にある者として、
目の前の苦難を受け止めてこそ、📖
主から正しい忍耐力をいただくことができていただろうと、
自身のことを
今、思う。 

主よ。今までも、
この愚かな者と共に、
歩んでくださったことを心から感謝します。

苦難と忍耐に与る者として、
正しく歩むことができるように、
どうか、導いてください。

そして、
苦難にある方々にどうか、
伴ってください。

尊い主の御名によって、
祈ります。