木々と川の流れ、山々と雲、大気と風、光と空など。


自然が目の前に、広がっている。


しばらく自然の中に居ると、

心の中は、安らぎと嬉しさでいっぱいになる。


苦しみや悩みを抱えて、

主の前に喘ぎ急ぐことが多い自身だが。


自然の中に居るような心地をもって、

主の御そば近くに居たいと願う。



ハレルヤ。

神の聖所で、

神をほめたたえよ。

御力の大空で、

神をほめたたえよ。


その大能のみわざゆえに、

神をほめたたえよ。

そのすぐれた偉大さのゆえに、

神をほめたたえよ。


角笛を吹き鳴らして、

神をほめたたえよ。

十弦の琴と立琴をかなでて、

神をほめたたえよ。


タンバリンと踊りをもって、

神をほめたたえよ。

緒琴と笛とで、

神をほめたたえよ。


音の高いシンバルで、

神をほめたたえよ。

鳴り響くシンバルで、

神をほめたたえよ。


息のあるものはみな、

主をほめたたえよ。

ハレルヤ。

     [新改訳聖書第3版]


詩篇は150篇で終わる。


新改訳聖書は、本文の下欄に引照蘭の記載があり、関連箇所や参考の聖書箇所引くことができることが本当に有り難い。


主ご自身を尚、深く知ることができるならば、

嬉しい。


netに掲げておられる銘形先生の詩篇の学びと黙想をも、暫く以前から参考にさせていただいている。


下記に少し抜粋し、以下にコピーして記した。 


  • 詩篇40篇3節に「主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた」とあります。
  • 賛美は神が私たちに授けてくれる不思議なものです。この前の節には「私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は、私のほうに身を傾け、私の叫びをお聞きになり、私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。という告白が記されています。
  • まさに賛美の源泉はここにあります。私たちの努力や頑張りでパフォーマンスすることはできます。しかし、生きた神への賛美をささげることはできないのです。
  • 失敗、失意落胆、苦難、閉塞、屈辱、敗北・・・といった十字架の経験は、神の恵みへの道を開かせます
  • 篇で呼びかけられ、ささげられている賛美の背景には、こうした神の民の受難の経験があることを心にいつも留めておきましょう。
  • そのような視点から読むことは、神の約束や恵み(constant love)がいかにいい加減なものでないかを確信されることでしょう。


憐れみと恵みの神が、
この心貧しき私に。 

そして、
私たちと関わる愛する一人ひとりの心に。

「新しい歌」を授け続けてくださる。

主よ。
尊い御愛を
心の底より、感謝します。