自身の心に係る事がらが

他に優って、

大きくなってしまっている。


矢内原忠雄の聖書講義「詩篇」は、

第二次世界大戦敗戦直後の1946年

に書かれている,


「…敗戦後の日本国民は、この詩(147篇)の味わいを涙をもって解することができる。外地に、大陸に、南方に、シベリヤに、ソ連に幾十万の日本人が抑留されたか。…」とあった。


神を讃える心で満ちているこの詩篇から、

真実の賛美を捧げることを

学びたいと願う。




ハレルヤ。

まことに、われらの神にほめ歌を歌うのは良い。

まことに楽しく、賛美は麗しい。


主はエルサレムを建て、

イスラエルの追い散らされた者を集める。

主は心の打ち砕かれた者をいやし、

彼らの傷を包む。


われらの主は偉大であり、力に富み、

その英知は測りがたい。

主は心の貧しい者をささえ、

悪者を地面に引き降ろす。


神は馬の力を喜ばず、

歩兵を好まない。

主を恐れる者と

御恵みを待ち望む者とを好まれる。


主は、あなたの門のかんぬきを強め、

あなたの中にいる子らを祝福しておられるからだ。


主はあなたの地境に平和を置き、

最良の小麦であなたを満たされる。


主は地に命令を送られる。

そのことばはすみやかに走る。


主は羊毛のように雪を降らせ、

灰のように霜をまかれる。

主は氷をパンくずのように投げつける。

だれかその寒さに耐えようか。


[新改訳第3版 詩篇147篇1-3.5.6.10.11.13ー17]


矢内原忠雄は、

「たとえば自分の持ち物が奪われたとか、自分の子どもが取られたとか、自分の健康が損じたとか。人間の交際ぐらいで慰められるものではない。

…しかし、それが主から出たものであると気がつけば、我らは寒さの中ですでに慰められている。…」と話している。


主のみ計らいの中で、

私たちのすべてのなげきと悲しみは、在る。


天においても

地にあっても

主を崇めます。


主よ。永遠に

共にいてくださることを感謝します。


世界の一人ひとり、

そして、私のそばにいる一人ひとりに

主よ。どうか、

臨んでぐださい。