横山講演録【わたしの生涯】4「大学時代」其の2
4大学時代(前回からの続きです)
その高知へ帰る時、奈良に寄って岡先生と対面したのである。それは1973年初夏の候、私23歳の時である。
その年はまた不思議な年であり、人類の滅亡は間違いなしと覚悟していた岡先生が、「待てよ、助かるかも知れない」と思い直した年でもある。
そして翌年の1974年には「最早、人類自滅の危機は去った!!」と宣言するのである。
大学時代に一つ私らしい出来事があるので言い添えると、渋谷駅前で街頭演説に行き当たったのである。何気なく聞いていると、アジアの子供達の悲惨な現状を悲痛な叫びで訴えているのである。
それを聞いているうちに身につまされて、丁度2か月分の奨学金を受取ったばかりであったのだが、その全額(9万円)を募金箱に投げ入れたことがある。
その後の生活がどうなったのか今は憶えていないが、相変わらず夜は居酒屋で後輩達の悩みを聞くことに変わりはなかったのである。
もう一つ言い添えたいことがある。なぜそんなに東京でテニスばかりしていたかということであるが、私は高校の恩師、内田八朗先生の「教育に生きる」をよんで感激し、弟子入りを申し込んだくらいだから、岡先生の教育論も手伝って実践的教育に理想を燃やしていた。
そこへテニスクラブという場が出来たものだから、その理想追求に次第にのめり込んでいったのである。だから何の資格も得ることがない教育実習を、東京まで行ってみずから進んでしたようなものである。
しかも、それとは知らない父に高い授業料を払ってもらいながら。だから私も行き当たりばったりの大山師である。
次回の横山講演録【岡潔思想研究会の発足】其の1は遠出する都合により25日(月)からの記事になります。
横山賢治さんのホームページ
※典比古
「その全額(9万円)を募金箱に投げ入れたことがある」とは、まさに驚くべき行動です。当時の9万円といえば、今とは比較にならないほど大きな金額であり、学生にとっては生活そのものに直結する額だったはずです。
しかし横山さんは、アジアの子供たちの悲惨な現状を聞き、その「悲しみ」に直接反応してしまったのでしょう。ここには損得勘定を超えて動いてしまう、「情」の強さがはっきり現れています。
また興味深いのは、大学では「テニスばかりしていた」と述懐されながら、その実、単なる遊びではなく、「教育」に対する理想を、テニスクラブという場で実践していた点です。
後輩たちの悩みを聞き、場をまとめ、人を育てようとする姿勢は、すでに後年の「岡潔思想研究会」へとつながる原型だったのかもしれません。
もちろん、その陰でご両親に大きな心配をかけてしまったことへの痛切な反省も語られています。しかし、その破れかぶれとも見える純粋さこそが、後年、岡潔思想を世に伝える原動力になっていったように思えます。
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【展示のお知らせ】(7) Facebook 中村修さんの「コメント」は下記
今年もこの展示やります!今回のDMを担当させて頂きました。
最高の夏にしましょう。是非お越しください!よろしくお願い致します
『ワタシノ着タイ夏ノ服 vol.15』
2026年6月26日(金)〜7月7日(火)
11:00〜17:00 水.木定休
〒248-0011 鎌倉市扇ガ谷 1-9-14 1F
旅する帽子屋パハロ @makotokuroda
『ワタシノ着タイ夏ノ服』展も15回を迎えます。個性豊かな作家たちが暑まり、今年の夏を楽しむためのとっておきの1枚をお届けします。
レディース、メンズ、様々なアイテムを用意してお待ちしてます。
[参加作家]
杉浦芙美子 @kuku.0707
高根友香 @yukatakane
中村修 @osamunakamu
三村養蜂所の @mimurayohojo.no
Woo textiles @woo_textiles
