岡潔の思想513【日本の国のお掃除】
【21】日本の国のお掃除
今日本は、国の情の穢れを一度お掃除しなきゃいけない。それにはどうすればよいか。家庭っていったってなかなか聞かない家庭が多いから、学校教育を変えるのがよいでしょう。
これは大多数の人が成程そうだとわかって、その声が高くなってこなきゃ変えられやしない。今そういう政治の仕組みでやろうと約束しているからしようがない。
あれ、間違っているんですけど。日本はあんなことしたら非常にやりにくいんだけど、今そうしているんだから仕様がない。
これはいかんと皆思い出したら、これはもう、議会でいっぺんに変えてしまえる。
そうすりゃ、70年待ってたら人はことごとく変わってしまう。てっとり早くお掃除が出来る。情の濁った人が生い立ってこないように、注意だけしたらよい。
ここでいっぺんお掃除しなきゃ始まらんと思うほど、濁りがひどい。
だいたい応神天皇以後、外国の真似をそのままやったっていうのは、国の情を濁らせたということです。そのお掃除は、いっぺんやらなきゃいかんのです。
明治維新ではお掃除するどころか、より余計濁らせてしまった。終戦後はそれがはなはだしい。ここでいっぺんお掃除すべきです。これが神々の計画だと思う。
(質問) 今のように「人に節操あるは情あるによる」っていうように云って頂くと、わかる人にはピリッと来る・・・
あそこを漱石、なにげなく云った。あの言葉、だいぶ邪魔になってますよ。情に棹させば流される。これ感情のことです。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ」って云うんだったら、しからば人は如何に生くべきかの厳粛な問題でしょう。
それを「兎角に人の世は住みにくい」なんて軽口云ってしまった。
漱石、のちに「こころ」っていうのを書いた。あれが情の働きです。しかし「草枕」の方が世の中によく通ってしまっているでしょう。
知らず知らずに非常に悪いことをしたのですが、漱石が悪いんじゃない。明治以後が、欧米の思想を取り入れたのが悪いんです。
横山賢二さんの【解説】が読めます。
※典比古
漱石の『こころ』に深い感銘を受けた者として、本章の岡さんの指摘は実に刺激的です。「情に棹させば流される」という言葉が、実は「感情」を指しており、「真情」とは全く異なるものであるという指摘は、まさに核心を突いているのではないでしょうか。
明治という時代は、西洋文明を急速に取り入れなければならない歴史的状況にあり、その中で「情」と「感情」の区別が見失われたのも無理からぬことだったのだと思います。
しかし岡さんは、その歴史を善悪で裁くのではなく、「情の濁り」という一点から見通しているのです。ここに岡さんらしい「諦観」の意味があるのです。
諦観とは、あきらめることではなく、徹底して見極めることであり、どこをどう変えればよいかを見定める眼であるということです。
1968年、坂田道太文部大臣に岡さんから「日本の教育の危機」打開策として、著書『日本民族の危機』を贈呈しております。これは「教育の原理」という理論の形にまとめ直したものであり、それを坂田文部大臣宛に送ったものです。
坂田文部大臣は岡さんを師と仰いだ人物です。
付記するならば、「お掃除」とは単なる浄化ではなく、「真情を発現させるための環境づくり」であり、濁りを除くとは、何かを加えることではなく、本来備わっているものを現れやすくすることであるのでしょう。
その意味で、教育とは「教える」ことではなく、「濁らせない」ことであると言えるかもしれません。
それにしても、岡さんが人類を何百年という時間で見ているという横山さんの指摘は、的を得ております。
気持ちよさそうです!(三番目の孫)撮影 4月9日
