2016 ノーベル賞 2: 「役に立つ」ということ | 医学ニュースの深層

2016 ノーベル賞 2: 「役に立つ」ということ

 日本人のノーベル賞授賞者が出ると、マスコミが家族の話・大昔のご学友の話とかばっかり聞いてまわる。報道では授章者がとにかく「人格」も神様レベルで素晴らしいという印象操作がなされる。

 

 一方、授賞者は日本の研究者の研究環境が悪いから改善をと、この機会に様々な表現で訴える。しかし、しばらくしたら、みんな忘れてしまう。

そして研究環境は悪くなりこそすれ、よくなることはない。

 

 今年ノーベル生理学・医学賞を授賞された大隅先生は次のメッセージを発せられた。

 

「科学が『役に立つ』という言葉が社会を駄目にしている」

 

 そして、このメッセージが、今、議論を呼んでいる。

単純に「応用研究」よりも「基礎研究」を重視せねばと捉える向きも多い。

 でも、つい最近のノーベル物理学賞の「青色ダイオード」のとき(特に中村先生について)は、どうだったっけ?世界中で、ものすごく役にたったから評価されて授賞されたって雰囲気だった。

 昨年のノーベル生理学・医学賞の大村先生も「世界中(とりわけ途上国)で何億という数の患者を治す薬を開発したということで評価された。

 

 私は基礎研究(Science)も応用開発研究(Technology)も両方大事だと思いますがね。

 後者のほうが、金はかかるが・・・。

 

 それと、この種の議論においては「役に立つ」の多義性を整理するところからはじめないとだめでしょ。即物的かつ応用的な話だけが「役に立つ」ということではない。ある分野(新旧問わない)に多くの新しい人材を呼び込むことも「役に立つ」。人を笑わせて「うーむ」と考えさせる(イグノーベル賞)も、世界中の多くの人の生活に潤いを与える意味で「役に立つ」。

また、知識の蓄積や意識の革新に貢献した論文も「役に立つ」。

長い目で見て「役にたたないものなんて無い」ということがわかっている人が価値組なのだろう。

 

 さあ、今日は期待の化学賞の発表。日本人の有力候補は多い。

楽しみに待つことにしよう。