『神の食卓にふさわしい人(3)』◆2024.5.12.礼拝メッセージのポイント&質問◆ | いこいのみぎわ

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牧師であり家庭教師である摩周遍里の、ときにまじめに聖書的、ときに脱線して、飼い犬のユテコくんも笑い出す、つれづれブログです。

◆礼拝メッセージのポイント&質問◆
※メッセージの動画はこちら↓
2024/05/12「神の食卓にふさわしい人(3)」ルカ14:12-14 はなみずきベテルチャーチ 主日礼拝メッセージ 西住啓牧師 (youtube.com)


ルカ14:12-14

古代ユダヤの世界では、ともに食事をすることは、運命共同体となることを意味しました。神様と食事をともにするのにふさわしい人=主イエスと運命共同体となるのにふさわしい人とは誰か? 今日はその3回目です。

3.神の食卓にふさわしい人=人ではなく神様からの報いを期待する人

○私たちが何かをするとき、相手の人からのお返し・見返りを期待していないでしょうか? 私たちの日常生活・教会生活をふりかえってみましょう。





○聖書は、お返し・見返りを求める心そのものを否定しているのではありません。その心をなくしてしまうのではなく、どうすればよいのでしょう?(参照:箴言19:17、マタイ6:16-18





ローマ5:6-8を参照してください。かつて私たちもまた、神のあわれみにすがるほかない罪人でした。主の十字架の愛を思い起こしましょう。





○14節「義人の復活」とは、どのような内容でしょう?(参照:Ⅰコリント15:50-58





ピリピ2:6-11ヘブル12:2を読みましょう。主イエスは何に目をとめておられたでしょう?





私たち一人一人が、神の前に「お返し」する力をもってない、神のあわれみにすがるほかない存在です。神からの報いを見続ける歩みは、主イエスが歩まれた歩みと同じです。人から報われなくても、無視されても、バカにされても、神様は見ていてくださり、わかってくださいます。「よくやった、よいしもべだ」と、天の御国で主イエスにお会いするときに言われる者とならせていただきましょう。



◆みことばを口ずさもう!◆

信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。(ヘブル12:2a)



◆今週の祈り◆

主よ、しばしば目に見える人からの見返りばかりを気にして、目に見えないあなたからの見返りを見失っていたことを赦してください。あなたの十字架の前に、私は赦された罪人です。あなたからの報いをまっすぐに目をとめることができるよう、私を整えてください。