今から15年以上前、私が牧師となって間もない頃、ある経営コンサルタント会社で3ヶ月ほどアルバイトをしていたことがあります。

この会社の実質的なオーナーで、当時大学教授だったH氏は、はじめ私を優遇してくれました。はじめのうちは、かつて私がサラリーマン時代に培ってきたノウハウを十分活かせる内容の仕事が与えられ、とても順調でした。二ヶ月目には、アルバイトでありながら雇用保険が備えられたのです。このときまで、私はH氏に感謝していました。

ところが、3ヶ月目に入ろうとするとき、H氏は一つのプロジェクトを立ち上げて、強力にそれを押し進めていきました。その内容はネズミ講に似たシステムで、H氏がやろうとしていることに私は疑問を持ち始めました。

あるとき、そのプロジェクトのパンフレットを作成するとのことで、私の写真を撮りたいと言われたのです。パンフレットの版下を見ると、そのプロジェクトの推薦文がすでに私の名前で作成されていて、あとは私の写真を掲載するだけという状況だったのです。

 

このとき、私はすべてを悟りました。……結局、「キリスト教の牧師が推薦するプロジェクトなのだから」という印象を、このプロジェクトを知った人々に与えることが目的だったのだ。だから私を優遇していたのだ……写真の掲載と、パンフレットに私の名前を出すことについて、私は毅然としてノーと答えました。自分が牧師であることを、断じて利得の手段に使われたくはありませんでした。

数日後、H氏は私に「自宅でできる作業への移動を命じる。仕事は発生したときに渡す形で、出来高払い。健康保険と雇用保険は今後なしとする」と言ってきました。私は民法が定める期間をおいて、H氏との雇用契約をうち切る旨、H氏に知らせました。

 

そしてお世話になった社員の皆さんに『ダイジェストバイブル』にお別れの手紙を添えて渡し、皆さんのために祈りました。そのとき、たしかに生活は苦しくなりましたが、心の中には平安がありました。

その2年後、H氏は詐欺罪で逮捕され、実刑判決を受けました。

 

あのままもし私があの会社に居続けたとしたら、詐欺罪の片棒を担がされていたかもしれません。主はたしかに私を守ってくださったのです。