主の弟子訓練コンベンションでの恵み・その1(週報のコラムから) | いこいのみぎわ

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牧師であり家庭教師である摩周遍里の、ときにまじめに聖書的、ときに脱線して、飼い犬のユテコくんも笑い出す、つれづれブログです。

 2月11日から13日まで、札幌国際キリスト教会で行われた「主の弟子訓練指導者コンベンション」に、夫婦そろって行ってきました!これから数回にわたって、このコンベンションで受けた恵みを、啓と加奈の共同執筆で紹介します。

 このコンベンションは、弟子訓練(もっといいネーミングはないものか……)に基づく教会形成と伝道・宣教に関するセミナーで、韓国のサラン教会の主任牧師であられた故・玉漢欽(オク・ハンフム)牧師の弟子訓練の流れを汲むものです。メイン講師は、韓国の和平教会のチェ・サンテ牧師。そのほか、聖書キリスト教会グレイスホームの岡野俊之牧師、苫小牧福音教会のイ・ジュンホ牧師などの講師陣で行われました。

 「弟子訓練」という言葉に、啓はややアレルギーを持っていました。というのも、数年前にある弟子訓練プログラムを受講して、その軍隊的な訓練方式に疑問を抱いていたからです。その訓練でなされていることは……

・必要以上に「一つのことば」「一つの思い」が強調されすぎている。
・この訓練システムを開発した牧師の著書に「親の死に目に会えなくても訓練会を優先せよ」と書かれてある。
・訓練会の内容によっては、当日いきなり携帯電話を取り上げられ、外部と連絡がとれない状態を強制される。

 ……このような訓練では、指導者に命ぜられるまま忠実に任務をこなす人間を養成することはできても、キリストの心に基づき聖書にしっかり立って、自由な発想で行動できる自立したクリスチャンは養成されないのではないか、と危惧します。「弟子訓練」の「弟子」とは誰の弟子なのか、それは、イエス・キリストの弟子であるはずで、教会指導者の弟子ではないはずです。

 同じような「弟子訓練」に対する違和感は、加奈も抱いていました。……加奈がこのコンベンションを初めて知ったのは2009年のこと、当時在学していた神学校の卒業論文を書いているとき、参考文献として今回の講師の一人である岡野俊之先生が書かれた『ただ愛すればよい』(オイコス出版,2008)を読んだときです。その時「こんなのあるんだ~、行ってみたい!」という思いを抱きました。『ただ愛すればよい』については次回詳しく紹介しますが、この本から受けた恵みをひとことで言えば、「私が不完全ながら歩く聖書になればいい」ということでした。集会出席や献金、伝道熱心なことよりも、聖書のことばを生きるクリスチャン、これが本当の弟子なのです。そして、その岡野先生が影響を受けたのが、玉漢欽牧師の弟子訓練でした。

 ところが、加奈の母教会では別の弟子訓練をしていました。参加してみたもの、どうしても加奈のイメージと違うのです。母教会の先生と何度か話し合いましたが、いつも話し合いは平行線。神学校卒業を前に、加奈は悩んでいました。(つづく)