京都の秋 崇道神社 | まきくも日誌 薪や里山と素敵に付き合う

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都市生活のバックアップとしての農村との関わりについて書いていくことになると思いますが、時折よくわからない事も書くかもしれません。
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叡山電鉄「宝ヶ池」駅から、国道367号線(途中越)へ一キロほど行ったところにあります。

紅葉シーズンで観光客が多い京都の寺社があるなかで
ひっそりと佇まう紅葉を感じることができます。

正月の焚き物を着々と準備されてました。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~wikipwdiaより

金銅小野毛人墓誌(附:銅函1合(延宝元年11月在銘)、発掘関係書類1通) - 1961年4月指定
奈良時代の墓誌。銅製・鍍金。寸法は長さ58.9センチメートル、幅5.9センチメートル。江戸時代の慶長18年(1613年)に崇道神社背後の山中で発見され、土葬石室に埋納されていたという。延宝元年(1673年)に銅製墓誌函が作られ、宝永2年(1705年)には発見に関する文書が記されている。元禄10年(1697年)に再び埋納され、1913年(大正2年)に墓の調査に伴い再び発掘された。
墓誌の表裏には次の文言が刻まれている。
(表)飛鳥浄御原宮治天下天皇 御朝任太政官兼刑部大卿位大錦上
(裏)小野毛人朝臣之墓 営造歳次丁丑年十二月上旬即葬
小野毛人は『続日本紀』和同7年(714年)4月条に拠れば遣隋使である小野妹子の子で、天武朝期には太政官兼刑部大卿の地位にあったという。墓所は山城国愛宕郡小野郷にあたり、小野氏の故地に比定される。天武天皇6年(677年)に墓が作られているが、墓誌の作製は文中の官職、姓などの用語から見てやや時代が下り、毛人の子小野毛野による追納で、持統朝期であると考えられている。墓誌は京都国立博物館に寄託されている。


引用:wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E9%81%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE



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