WEC世界耐久選手権 第80回ル・マン24時間レース レポートvol.5 | レーシングドライバー井原慶子のおもいっきり行こう!

WEC世界耐久選手権 第80回ル・マン24時間レース レポートvol.5

~ル・マン24時間レースの決勝


レーシングドライバー井原慶子のおもいっきり行こう!

6月16日(日)ル・マン24時間レース決勝
トリコロールの排気をまき散らして戦闘機が頭上を音速で通り越した。第80回ル・マン24時間レースのグリッド上に全ドライバーが集まり、FIAが行っている”FIA action for road safety“のキャンペーン撮影をした。
静かにスタートを待つ色とりどりのレーシングマシンの横に参戦ドライバーが並び、参戦チームすべての国歌が流れた。
場内は25万人の大観衆。場外を合わせると45万人ほどの観客が見守る中、グリッドで各国の国家を聞くと、いろいろな国でレースをしてきたことを思い出した。そして後ろを振り向くと、13年前にF1世界選手権でレースクイーンとして私が傘をさしかけたジャンカルロ・フィジケラ選手が同じグリッド上に立っていた。あのときは、ベネトンブルーのハイレグ水着だった私も、今はガルフブルーのレーシングスーツでジャンカルトと同じグリッドに立っている。
『ついに世界最高峰のレースを走れるようになった!』

この挑戦を応援してくださった方々、はるばる日本から応援に来てくださったみなさん、日本から応援メッセージを送ってくれる人たち、全てに感謝の気持ちでいっぱいになると涙ぐんでしまった。
「KEIKO、どうだこれがル・マンだ。最高だろ!」
隣からジャンが深くうなずきながらうれしそうに話しかけてくれた。

レーススタートは、今年でLMP2クラス11年連続出場の経験豊富なマークが担当することになった。そして私は2番目に出番が回ってくるはずだった。



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1時間過ぎたころ、予定より1時間も早めにチームマネージャーから連絡がきた。「すぐにピットで出走準備をしてほしい」



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私は急いでピットガレージに行き、集中力を高めてヘルメットに手をさしかけようとした瞬間、衝撃の映像が目に飛び込んだ。
「え?でもなんとかこれぐらいなら自力でピットに帰ってこれるよね?」
次に私が乗るはずの29号車がクラッシュした映像だった。



エンジニアは急いで工具をたくさん持って現場に急行した。エンジニアやメカニックはマシンに触ることができないが、工具を渡してドライバーが修理してピットまでマシンを自走できればのぞみはつながる。
クラッシュしたマークは、1時間の間コース脇で修理を試みた。しかし動力伝達部分の大きな破損によりどうしようもなかった。
「前方を走っていたマシンが曲がらないマシンのようで、高速コーナーの想定外の場所でブレーキをかけてきて自分のマシンの前方をキックアウトしたんだ。どうすることもできなかった。本当にすまない。」
肩を落として戻ってきたマークが言った。


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数時間後、私たちはお互い「また一緒に走ろうよ!Thank you!」と言ってルマン24時間レースウイークの幕を閉じた。

80年もミュルサンヌの森を守り続けているルマンの女神はそう簡単に微笑まないことはわかった。世界一厳しい女神は世界一魅力的で美しいことも。
あたたかい昼も
冷たい夜も
スムーズなカーブも
でこぼこな公道も
人車一体の時も
ギクシャクな時も
どんな時でもこの森に順応出来た時、24時間後に降り注ぐルマンの栄光の陽の光を浴びることができる。

リタイアした後、チームは全員ホテルに引き上げたが、私はサーキットのコンテナの中に泊まった。目が覚めると周回するマシンはずいぶん少なくなっていることが音で分かった。それでも24時間のチェッカーフラッグに向けて走行を続けているマシンの排気音を聞くと、今走っていない自分に悲しくなった。コンテナの扉を開けると6月のフレンチブルーな青空。
『この青空の下、走りたかったな。』
またこのル・マンに思いっきり挑戦したい!



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これまで応援してくださり本当にありがとうございます!おかげさまでルマンの決勝までたどり着けました。
次回英国シルバーストーンは私のホームコース。チーム一丸となって前に進みます!これからもどうぞ応援よろしくお願いします。
   WEC世界耐久選手権 ガルフレーシングミドルイースト 井原 慶子


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