WEC世界耐久選手権 第80回ル・マン24時間レース レポートvol.4 | レーシングドライバー井原慶子のおもいっきり行こう!

WEC世界耐久選手権 第80回ル・マン24時間レース レポートvol.4

~クラッシュの後・・・

                     

6月14日(木)最終予選

朝起きたら、背中と腰の痛みは思った以上にとれていた。マシンさえ直ればレースは走り切れそうだ!

しかし、朝のミーティングで、重大発表があった。

「このままでは、29号車は予選に出場することができない。数十個のパーツは全部手配できたが、1つだけどのチームをあたっても見つからないパーツがある。夕方までに見つからなければ今回はこれでリタイアだ。」

「そのパーツはどこのメーカーのなんていうパーツですか?」

私が身を乗り出すと、

「あーKOBとかいう日本のメーカーのパーツだよ。」

「今すぐ見せて!私が必ず探してくるから!」

ピットガレージにエンジニアと一緒に戻った。すると、そのパーツは、日本のKYB(カヤバ)製のステアリングパーツだった。

「KYB!?私の生まれた町にある会社だよ!今すぐ探してくる。」なんだか少しだけ希望の光が見えたようだった。

「でも僕も昨日の深夜からずっと各チームにあたっているけれど、見つからないし、持っているチームも予備のパーツはレースが終わるまでは渡せないというから難しいけど。。。」

エンジニアは徹夜で探してくれていたようだけれど、私は日本人だから何とかできるかもしれない。そこからパーツ探しは始まった。

まずは、TOYOTAチームを訪ねた。

「KYBのこのパーツ使っていませんか?」と聞くと、TOYOTAのエンジニアが、「うーん、それは使っていないね。」と首を振った。

お次は、古巣シグナテックチーム。こういう時は地元フランスの親しいエンジニアに聞くしかない!彼に聞くと、すぐに知り合いの各チームを回って同じパーツがフランス国内のどこかの工場にないか根気よく探してくれた。しかし、どこにも見つからなかった。

 次は日本のDOMEチームをあたってみた、KYBのエンジニアの名刺を見せてくれた。すぐさま名刺に合った電話番号に連絡したが、

「この電話番号は現在使われておりません。」

だった。そして、イギリスのチームにもあたってみた。するとそこのチームエンジニアもKYBのパーツを使ったことがあるとのことで、KYBのエンジニアの名刺を見せてくれた。急いで電話してみると、ついにつながった!!!

日本人のエンジニアが電話に出た。

「はい、KYBです。」

「あのーガルフレーシングの井原ですが、KYBさんのパーツのことで至急お会いしたいのですが・・・。」

10分後にはKYBのエンジニアが3人ガレージに来てくれた。KYBのパーツがないと予選に出れないことを話すと、

「非常に厳しい状況だけれど、何とかできるように最善を尽くします!」と力強い言葉を残して3人はル・マンのピットに別々に消えていった。

 今日も朝からパーツ探しでパドック内を走り回ってもう夕方。今やれることは全てやった。予選が走れることを信じて今は少し休もう。モーターホーム内にある自分専用のベッドに倒れこんだ瞬間、携帯が鳴った。

「KYBのパーツあったって!」

心配でピットガレージで待機してくれていた主人からの電話だった。急いで飛び合上がってピットガレージに行くと、KYBのエンジニアが笑顔でパーツをこちらに持ってきてくれた。

「何とか見つかってよかった。ステアリングのギア比が違うから少しハンドルが重く感じるかもしれないけれど、何とか予選は走れるでしょう。」

「本当に本当にありがとうございます!!!」

他のチームもなかなか譲ってくれない予備パーツを供給先ならではの交渉で譲ってもらってきてくれた!

「僕たちもこういうサポートをするために日本からここに来ているので。」

KYBの3人のエンジニアの晴々とした顔を見た瞬間、ありがたくてありがたくてまた泣きそうになった。でも先に待っている予選を考えると涙は瞼の中でかろうじて止まった。




レーシングドライバー井原慶子のおもいっきり行こう!


 この日19時から21時まで行われた第2予選には、結局それでも参加できなかった。マシンの修復が間に合わなかったからだ。先ほど見つけてもらったKYBのパーツもちょっとした仕様の違いでうちのチームのマシンには装着できずにいた。チームのメカニックがお手上げ状態のところ、様子を見に来た先ほどのKYBの日本人エンジニアが、すかさずジュラルミンケースのようなものを持ってきて作業を始めた。するとみるみる仕様の違いを調整してマシンに取り付けることができた!



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時計を見ると、すでに23時になっていた。最終予選は22時~24時。予選残り時間1時間しかない。この1時間で規定周回数をこなしていないマークと私は絶対に5周ずつしてどんなにマシンに異常があっても110%タイムをクリアーしなくてはならない。

まっすぐ走るかわからない車・・・

1周13キロにも及ぶルマンを5周するのに一人30分はかかるから時間はぎりぎり・・・

クラッシュした私が責任を持ってマシンを確認するために、私から出走した。



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走り出した途端、マシンがまっすぐ走らないことに気が付いた。しかも、ステアリングは30度近く曲がっている。

『これで夜の森の中の公道を300キロ出すのは怖すぎる。。。』

ハンドルが極端に曲がった状態でしか直進しないので、ハンドル裏についているギアチェンジのパドルを動かすのが非常に困難だし、ステアリングセンターがずれているから咄嗟に左右にハンドルを切る時に、きり角を間違えてしまいそう。。。

しかし、私がピットに入ったらその瞬間、予選通過の希望は途絶える。

『走るしかない。。。』

暗闇の中どんどんスピードを上げた。すると今度は、真っ暗なコックピット内では、燃料供給異常の赤いランプがワンワンと光りだした。

コーナーでマシンが傾いた時に燃料が正常にエンジンに供給されなければタイヤが正常に駆動せずにバランスを崩してクラッシュしかねない。でも今はこのまま走るしかない。

真っ赤に光る警告灯を消去すべくステアリング上のリセットボタンを押しては、また数十秒後に警告灯が鳴り始めるの繰り返し。各コーナーで毎回リセットボタンを押していると、なんだか自分がゲームをやっているかのようにも思えてくる。



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規定の5周を終えてピットガレージに戻ると、相方のジャン選手やエンジニアが拍手を送ってくれた。


「よくこのマシンで規定をクリアーできたね。すごい精神力だ!」

最高に私を気遣ってくれた言葉をチームのみんなが口々に投げかけてくれた。

急いでマーク選手に交代。そして、彼が規定周回数5周を終えた時、時計を見ると24時ちょうどだった。

私たちガルフレーシングミドルイーストは、LMP1年目ながらル・マン24時間レースの予選を何とか突破し、いよいよ決勝にコマを進めた。