WEC世界耐久選手権 第80回ル・マン24時間レース レポート vol.3 | レーシングドライバー井原慶子のおもいっきり行こう!

WEC世界耐久選手権 第80回ル・マン24時間レース レポート vol.3

~時速300キロオーバーでミュルサンヌの森公道を駆け抜ける

                     

613日(水)フリー走行&予選第1回目

フォーミュラーレースに専念してきたこの十数年。泣いたことなんてほとんどない。しかし、この日からルマン決勝当日まで毎日少なくとも一滴は涙ぐむことになった。毎日違う意味で。この日の涙は申し訳ない涙だった。


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フリー走行では、先週の開発テストで最後に乗ったジャン・デニ選手が同じセッティングで今週の路面に合っているか?ということを確認するためにスタート。そして新規加入したマーク選手がマシンに慣れるために慣熟走行を行った。最後にこのセッションでも決まっていた規定周回数をこなすために私が5周だけしたけれど、マシンのバランスは異常だった。ジャンとマークが乗った時点であまりにもダウンフォースが少なく、低速コーナーでのメカニカルグリップも全く感じられないとのコメント。そんな中、電気系にトラブルも起き、マシンの調子は今シーズンで最悪だった。

そのまま迎えたナイトセッションの予選1回目は、夜22時にスタート。最初に出て行ったジャン・デニ選手は、自身が4時間前にマークしたタイムのなんと30秒落ちのタイムしか出すことができなかった。

今年から世界耐久選手権になったル・マン24時間レースでは、すべてのセッションで各ドライバーが規定周回数をこなさなくてはならない。マシンのバランスがおかしくても2時間しかない予選では1人ずつ順番に走って各予選を通過していかなくてはならない。

どんな時もクールなジャンも規定周回数をバランス異常なマシンで無理やりこなしピットガレージに戻ってくると、ものすごい声を荒げていた。

「まるで氷の上を走っているようだ!もっとひどいかもしれない。何周してもタイヤは温まらないし、電気系も異常でステアリング上のモニターも見えないどころか駆動コントロールうまく働かない。危なすぎるよ!」

そのコメントを聞いて夜のルマンを初めて走る私は、気を引き締めてマシンのコックピットに収まった。しかしその直後に事故は起きた。


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ピットアウトしてカーボンブレーキとタイヤを何とか温めようと試みた。時速300キロオーバーをマークするミュルサンヌの森に進入。昼間は美しい森の中をこの上ない気持ち良さを感じながら駆け抜ける公道部分。そのミュルサンヌストレートも冬のような冷えた空気と深い闇に包まれていた。通常のサーキットではマシンを右に左に大きく振ってタイヤを温めることができるが、ミュルサンヌストレートは公道で路面が悪く、かまぼこ上の形状になっていたり、たくさんの穴ぼこがあったりしてマシンを200キロオーバーで左右に振るとあっという間に足をとられてガードレールに向かってしまう。

『ダウンフォースなし、メカニカルグリップなし、冷えた公道の路面・・・・いったいどこでタイヤを温めろというのだろう?

ジャンが言っていた通り全くグリップしない異常なマシンに不安を感じながらもハードブレーキングやマシンをスライドさせて一生懸命タイヤを温めようとしていた。そして3周目に入ったダンロップコーナーの手前、いつもは簡単にアクセル全開で行けるコーナーもマシンの異常事態で全く全開にできない。マシンが横滑りしだしたところをコントロールしようと思ったら、駆動補助装置が突然効き出してマシンは想定外の動きをした。

ガシャーン!

『あ~あ!やってしまった。。。』

マシンは右側のタイヤバリアに正面から激しく激突。自分の目の前のマシンフロント部分は思いっきりつぶれていた。

前回ベルギー戦から駆動部分や駆動補助装置の不具合が連発していて、今回直ってきたと思っていたが、その作動タイミングの不具合と全く温まっていなかったタイヤでどうすることもできなかった。

今年、うちのチームはレースカーの老舗であるイギリスのローラ社が出した新車を使って参戦している。ローラ社のマシンの定評は世界的に高く、ポテンシャルも高い。ル・マン出場のLMP2クラスでも名門ロータスチームをはじめいくつかのチームが新型ローラ車体で参戦している。しかしそのローラ社が5月、経営破綻して行政管理下に置かれた。その結果、ローラ社から供給されるはずのマシンのパーツ供給がストップし、ローラ勢は各チーム窮地に追い込まれていた。

しかし、そんな中、私たちガルフレーシング・ミドルイーストは、前回ベルギー戦でローラ勢1-2フィニッシュを見せ、入賞した。

『あきらめなければ可能性はある!』

と思ってグリップが異常に低いマシンを何とかしようとした結果、クラッシュしてしまった。

『スペア―パーツはほとんどないのに、これでもう明日はないかもしれない。。。』

あれこれ考えているうちにオフィシャルスタッフの救援部隊が心配そうに駆け寄ってきた。親指を上げて「私は大丈夫だ」とコックピットからサインを送ると、オフィシャルも深くうなずいてくれた。

時速百数十キロからのクラッシュだったので、背中や腰は強打したのでかなり痛かったが、「マシンさえ直れば24時間は気力で戦える」と咄嗟に思った。ピットガレージに戻ると、チームに新規加入したマークが、

「大丈夫か?Keikoが無事ならマシンのことは気にするな!」とあたたかい言葉をかけてくれた。そして向こうから同じ29号車に乗っているジャンもいつもより早足で歩いてきた。ジャンの顔を見た瞬間、私は泣いてしまった。スペア―パーツがほとんどないのにクラッシュしてしまい、本当に申し訳なさ過ぎて何も言えなかった。今まで参戦してきた1人乗りのフォーミュラーレースでは味わったことのない気持ちだった。

「Keiko、俺はKEIKOの数十倍クラッシュ経験があるよ。カラダが大丈夫なら何も問題ない。それがレースだ。」

ジャンに初めて会った開幕戦アメリカでは、彼はクールな印象で、とっても私に冷たいように感じた。まあそんな対応には慣れている。アジア人の女性ドライバーとくればみんないろいろな先入観を持つのは私にも理解できる。

『この人とどうやって信頼関係が築けるか?』

自ら積極的にコミニュケーションをとっているうちに、人見知りのジャンも心を開いてくれた。そしてベルギー戦では、2人だけで6時間を走り切り入賞。私のドライビングに対しても非常に高く評価してくれて、絆も深まっていた。そんなジャンやマークに申し訳ないと思うと、涙が止まらなかった。