現在の社会システムでは、個人個人の感性を高めていく事は大変難しいのでしょうか?
学校教育でもこの40年以上、親の関心は受験に走って来ました。特にこの30年は受験に受かる為のノウ・ハウを塾に行って教わります。
こうしなさいと云うマニュアルの様な形で教わる為,学ぶと云う教育に至って無い様に感じるのは私だけでは無いと思います。

ピアノレッスンでも先生からこの曲はこう弾きなさい。さらに、コンクールに出る場合は印象をつける為にこう弾きながらこうポーズをつけて弾きましょう。最後の挨拶の仕方もこんな風にしましょう。全く音楽とは正反対の指導も有る様です。
毎年フランスから来られている、オディール・ポワッソン、アンリ・バルダの両先生。「貴方はこの曲をどう弾きたいの?」と最初に聞く。
答えに窮する子供が多い。日本ではこう弾きなさいと教わるから仕方ない。

これは、社会に出てもマニュアル通りにする事が良いとされるし、私もある会議で「前例がありません」と言われて、「前例がなくとも新たに改善する事が必要だから会議をするのだろう。二度とこんな会議に呼ぶな」と怒たらその後その会議には呼ばれていない経験した事がある。

各自の感性を駆使し、個々の個性を尊重して社会の為に貢献する事の重要さが今の日本に必要な気もしますが、果たして今の日本社会、官僚も大企業も冒険はしない。いや冒険と言う言葉は存在するが、冒険の実体はない。
今度の選挙でおそらく政権交代が有ると思うが、政治家も個性や感性が優れた人物はいそうにないのも心配ですね。

本当は私の思う五感(視覚,聴覚、嗅覚、味覚、触覚)について書こうと思ったのに、違う方向に行ってしまいました。それは次回に書きます。