今日は母の日。
私達の両親の世代は青春時代を戦争で奪われた世代です。
もし戦争と云うものが無かったら、何不自由無いお嬢様として過ごしていたと思う。
震災後の神戸、一人暮らしのお婆さんが目についたし孤独死をされていた。
全て母の世代の方だった。単に女性の方が長生きするからと思わないでいただきたい。彼女達は未婚の一人暮らしのお年寄りが大半だった。
理由は簡単、結婚相手となる男性が徴兵され亡くなられているから、当然婚期を逃してしまっただけ。
もし、戦争が無ければ母の日を何度も迎えられた事でしょうし、可愛い孫や子供達に囲まれていた事でしょう。

昨日母に逢って来た。
その日によって私を認識している時としていないであろう時がある。
私達が小学校の頃、母のいる子は赤いカーネーションをプレゼントする。母のいない子は白いカーネーションと言う事だった。
私達の小学校には、当時の言葉で孤児院と云われる施設にいるクラスメートがいた。彼等は白いカーネーションなんだなと漠然と思った記憶がある。

ただ親不孝者の私は独身時代に母へ花のプレゼントをした事が無い。
結婚してから家内が気を利かせて母の日を認識したくらいだ。
母へのプレゼントを一度だけ独身時代にした。
当時のガールフレンド(今も家族間で仲良し)が和紙の着物やバッグを制作されている芸術家の先生に習っており、誘われてその先生の作品展に母を連れて行った。
和紙を絞り皮のような感じの着物やバッグ。とてつもなく高価な物だった。
彼女から「Shamoさんもお母さんにプレゼントしてみたら。喜びはるよ」と言われて、その先生ご夫妻に可愛がってもらっていた彼女に連れられ先生のお宅で小さいパーイティーやお茶会に使えそうなバッグを分けてもらった。大学を出て2年目くらいの私が本来10万円の物を彼女のお陰で3万円とはいえかなり散在した。

母の日だったか誕生日だったか覚えていないが、母が少し喜んでいた気がする。結婚式等で何度か使っていたのを見た。「これ和紙で出来ているのよ」と伯母達に話をしているのも聞いた。
今そのバッグは家内を経て娘に行く事だろう。