いぐのて【IGUNOTE】

いぐのて【IGUNOTE】

手帳好きなおばさんの、ただの日常。
YouTubeやってます。

「MIZU」というアーティストを知った。
ジャケットやMVはアニメーションらしいけれど
中身は「ゆず」だ。

 

今日、10月14日にこの記事を書くのは
サブリーダー岩沢厚治さんの誕生日だからだ。

 

私が高校2年の時にゆずは夏色で
メジャーデビューをした。
懐かしのスカイパーフェクTVに加入していた実家で
夏色のプロモーションビデオを見て、
一気にのめりこんだ。

 

私の母はアコギを弾く。
家にアコギはあったけれど、
小学生の時には全く弾けなかったので
私には弦楽器は無理だと思い
それからずっと触っていなかったが、
ゆずと出会ったことで
母のアコギをとりあえず借りた。

 

昔はバレエをやっていたので
ダンスに対するプライドが高かった私は
「キムタクに踊れて私に踊れないダンスはない」
と本気で思っており、
アイドルオンステージを見ながら
わりとたくさんの曲を踊っていた。

 

それと同じで、
ゆずに弾けて私に弾けない曲はない
と思ってしまったのだろう(ひとごと)

とにかく過去に出た曲もすべてコピーし
ゆずの曲ならなんでも来いだし
なんでもハモれるようになった。

 

母のアコギは古くて
ネックが太くて弾きにくいと
文句を言い出し、
安い、自分だけのアコギを買った。

 

 

たしかその頃、
岩沢さんは黒いヤマハのアコギを
使うことがあったため
私も黒いアコギを買った。
形から入るタイプ。

 

ブルースハープも
お小遣いをもらうたびに
1本ずつそろえていき
タンバリンやKAZOOも買い
ひとりでゆずごっこを楽しんだものだ。

 

それで、MIZU。
昔のゆずの歌を彷彿させる
懐かしい歌詞。


しかし曲は今風で
速弾き命みたいな感じ。

 

ちなみに私は
速弾きができるからすごい
と思ったことが一度もない。

速弾きや、早口言葉のように
1フレーズにつめこむだけつめこんだ歌詞は
喉に詰まって死にそうだ。

 

そうは思うけれど、
MIZUの曲は歌詞が助けてくれて
懐かしさの中
聴くことができた。

 

ゆずの曲のパロディみたいなもの。
あの頃のゆずの。

 

ある時から
ゆずは曲の方向性が変わったと思っている。

 

昔は恋愛の歌を多く歌っていて
高校生だった私に
ぐさぐさと刺さった
ものだったけれど、
ある時を境に応援の歌しか歌わなくなった。

 

これは本人たちが言っていた気がするが、
応援の歌を期待されていてしんどい
と思っていたらしい。
多分。言っていた。

 

そこでMIZUという
アーティストに
昔のような歌を歌わせて
逃げ場を作っているのではないかと
ただ思った、朝5時。

 

ちなみに当時、
ファンクラブ「ゆずの輪」に入って
ゆずっこだった私。
1400番台の会員証だった。


まだ大きい会場でのライブじゃなかった頃
ど真ん中の2列目で
2人だけのライブを見たことがある。
バンドがつかない、
2人だけのライブ。
最高だった。

 

岩ちゃん、50歳。
17歳だった私も、45歳になりました。
これからも健康で、
透き通った声を聞かせてください。
お誕生日おめでとうございます。


君の心へこの詩が届きますように。
優しい笑顔曇らぬように、
この詩を贈ります。/ゆず「贈る詩」

 

MIZU
知らない人は興味があれば
聞いてみてね。

 

 

離婚しても、私の職場は変わらず、
元旦那も、しばらくは同じ職場にいた。

ただ、私は名字が変わった。

旧姓に戻った私を見て、
後輩たちは少し戸惑っていたと思う。

「なんて呼べばいいんだろう」

そんな空気が、なんとなく伝わってくる。
私はもう、結婚していた頃の私ではない。
でも、職場だけを見れば、何も変わっていない。

そこが、なんとも不思議だった。

そして、以前から私に強く当たっていた
お局さんからの圧力は、
さらに強くなっていった。
女って怖いよ。

離婚前に指輪を外したことを
あれだけ責められたのだから、
当然といえば当然なのかもしれない。

直属のリーダーがそんな態度では、
なにかあった時に相談もしにくい。
私は怖くなって、上の立場の人に相談した。

その人は、
元旦那と何年も一緒に仕事をしている人。

「なんかあったら言ってね」

そう言ってくれたけれど、
実際には、
私を守ってくれるようなことはなかった。


元旦那は、
やがて同じ会社の別の店舗へ異動になった。
私はそのまま、テーマパークで働き続ける。
きっと、なぜ私が残って元旦那が異動になるのか
腑に落ちない人しかいなかっただろう。


私は、仕事そのものが嫌だったわけじゃない。
辞めたくなった理由は、
仕事ではなく、人だった。

そんな時でも、仕事が終われば私は自由。
けんごとの音楽練習は毎日やっていたし、
ライブ活動も月に一度くらいのペースで続いていた。

ライブをすると、
いつも来てくれる何人かの友達がいた。
テーマパークの「男性の」後輩たちだ。

演奏しているところを撮影してくれたり、
ライブを楽しみにしてくれたり。

本当にありがたかった。

一度、
何組かの出演者が一緒に出るライブで、
私たちのところに
一番多くのお客さんが来てくれたこともある。

あの頃の私は、
職場では息が詰まっていたけれど、
音楽の時間になると
別人みたいに生き生きしていた。

カフェでするライブの打ち合わせも楽しかった。
私たちのライブは
持ち時間すべてが1本の
ミュージカル作品のようになっている。

歌う曲は毎回変えるが
それをどう組み合わせるかによって
ひとつの作品が変わる。
それを作るのも楽しかった。

「この曲やろうか」
「じゃあ、こっちにはどう繋げる?」

そんな話をしている時間が、
たまらなく好きだった。
お互いに本気だから、毎回衝突はするけれど。

仕事の外には、ちゃんと私の世界がある。
そして、その世界のほうが、
ずっとずっと楽しかった。

だからこそ、
職場にいる時間が
余計につらくなっていったのかもしれない。

 

 

私は、とうとう退職を決めた。

退職する頃、
偶然にも一か月ほど
有給休暇をまとめて取れることになった。

これは、私にとってかなりありがたかった。
その一か月を使って、仕事を探すためだ。

ところが、なかなか決まらない。
応募しては落ち、応募しては落ち。
30社を超えた頃には、
さすがに心が折れそうになった。

年齢だったり、経験だったり。

求人票に書かれている条件と、
自分の経歴がうまく噛み合わない。

真夏の暑い中、
毎日のように面接へ向かう。
それだけでもかなりのストレスだった。

それなのに、お局さんからは、

「わざとその月に辞めるんだろ」

と言われた。
ちなみにこのお局さんは女性。
とっても口が悪い女性だ。

いや、そんなわけない。
有休が1か月に増えたのは偶然だ。
こっちは必死で仕事を探してるんだよ。
この人は最後まで、そういう人だった。

元旦那と恋人や婚姻関係にあったときには
自分の評価を上げるために
私と仲良くし、
休みの日にも遊びに行くような仲だったのに、
人間はこんなにきれいに裏返しになれるんだ
と思うほど
180度態度が変わった。

そして、正式な退職の日。

私は保険証を返し、
覚えなければならない
アトラクションのセリフが書かれた
懐かしい紙一式を返却した。

すると、
お局さんは私の目の前で、
その紙をビリビリに破った。


もう私は辞めるのだから、
その場でやらなくてもいいじゃないか。

せめて私が帰ったあとに
処理してくれればいいのに。
失礼すぎる。
荷物を受け取って、
まだそこに配達員がいるのに
鍵をかけるくらい失礼な人だ。
最後の最後まで、意地の悪い人だった。

でも。

職場を離れてしまえば、もう関係ない。
私には、帰る場所があった。
けんごがいて、音楽があって、ライブがあって。
一緒に笑える友達もいた。
ロイドという可愛いうさぎもいた。

仕事が終われば、私は自由。

こういう組織は、
先輩がいなくなることを
表では悲しむ。


「寂しくなるね」
「大変だったね」

そんなことを言う。

その実、
内心では嬉しくて仕方がないのだ。

 

 

最後の日には、
今まで一緒に働いた仲間たちから
色紙アルバムを貰った。
そこに書かれているのは
いいことばかり。

しばらくはとても嬉しくてとっておいたけど、
数年後の飲み会に誘われたとき、
帰宅後すぐにそれを捨てた。
詳しい話はまた今度。

 

 

 

 

2026年9月23日。
私と夫で組んでいる絵本音楽ユニット「もうねるじかん」は
数々の改名を経て15周年を迎えました。

 

びっくりですね。


まさかこんなにも 音楽から遠ざかってしまうなんて。

 

東京では結成当時、
防音室がない時代にたくさんスタジオに入って
月に1度のライブ活動をしていました。

 

でも引っ越して防音室を入れたら、
いつでも練習できるという気持ちが勝ってしまい、
お互いの仕事も今の仕事に変わり、
だんだん音楽から遠ざかってしまいました。

 

それでも音はいつでも出せるので、
たまに練習する程度。
レコーディングをして
サブスクに2曲置いてあるのが
その時の音源です。

 

 

 

 

「魔女」と「ペガサス」という2曲があるのですが、
その曲と曲の間に
ホットヨガにて自律神経をぶっ壊してしまい
思うように声が出なくなりまして、
「ペガサス」録音時は
1番と2番に分けて録ったりして
PA担当のけんごも苦労したと思います。

 

それから釧路に来てからは
ほぼまったくと言っていいほど、
音楽に触れていませんでした。

 

けんごは電子ピアノなので
ちょいちょい弾いていますが、
私は生楽器と声なので
家で練習することができず、
もう声も出なくなってるだろうなと
思っていました。

 

私がこの内容をFacebookに書いている時、
けんごが同じことを言ってきて
おどろきました。

 

「正直、今回のスタジオで
前みたいに歌えなくなったけど
キーを下げたりしてできる音楽に
していこう、って思うと思ったよね」

 

私もそう思って覚悟してスタジオに入ったのですが…

 

一曲目から声はなんと最高潮。
当時のあのままでした。
それがすごく嬉しかったです。
90%くらい諦めていたので。

 

楽器の方もずっと開けてなかったけれど
カビたりしていなくてよかった…

 

けんごもびっくりしていましたが
私もびっくりしました。


そして、記念日が記念日らしく
へこむことなく過ぎていきました。

 

正直、自分たちだからそう思うのだと
わかっていますが、
もうねるじかんはとっても面白いです。


そう感じない人も多いと思いますが、
私たちは面白いと思っています。

 

今までのブランクが本当にもったいない。
15周年を機に
まだ眠っている曲を配信して
新曲も作っていこうと決意しました。

 

いい記念日になりました。
これからもよろしくお願いします。