人を愛するとは何なのか。
それについて考える事が最近多くなった。
中学校や高校のときに、好きな人と多く話したり目が合ったりするだけで
その日1日が幸せと感じ、鼓動が速くなる、そういう純粋な恋愛感情は大人になってからも
感じていたのだろうか。大人になってからは相手に対する情熱よりもスペックを重視していたのではないだろうか。
情熱的に一方的でも良いから、人生をかけてでも相手を愛していたい、どうしても一緒にいたいって
恋愛的な強い愛情よりも、この人となら安定的な生活が築けるとか良い父親になるかもなど
将来の生活ばかりを最優先に考えていた気がする。もちろん自分は仕事が大好きで死ぬまで仕事を
する気だから、誰かと結婚してもしなくても生きていけた。でも自分の家族を築きたいと強く感じたから結婚をしたかったんだ。
でも大人になってからの恋愛対象は精神面や強い愛情での繋がりよりも安定感ばかりを求めたものだったと思う。
恋愛に傷つくのは怖いってずっと思っていたし、付き合うなら自分が相手を好きな気持ちよりも相手が自分を好き
な気持ちの方が強い人と付き合い結婚した方がいいと思っていたから。「女は愛されてなんぼ」って言葉があるくらいだし。
しかし私にはそれが合わないと思う。妥協して結婚すると確かに安定した生活が待っているのかもしれない。
でも本気で相手を愛していないと相手が何かをしたときに、許せなくなっちゃうんだよね。大好きだったら
相手の有り得ないわがままを愛しいとさえ思えてしまうかもしれないけどし、冷静に判断し恋愛した相手だと
やっぱり終わりも冷静に見えてくる。私の夫は頭が良くて、芸術とは全く関係ない仕事しているのに
芸術が好きでよく美術館、オーケストラ、オペラ、バレエにも連れて行ってくれる人だったし、行動的でいつも
どこか旅行に行こうと誘ってくれる人だった。でも短気で怒りん坊、そしてすぐ怒ったことを後悔して話しかけ
くる人だった。私は夫が大したことない事で怒る度にを仕事で疲れているのかなって冷静に判断してた。
初めはそういう子供っぽいところも可愛いなって思ってたけど、将来性を冷静に判断して結婚したからか、段々と
夫のそういう部分にストレスを感じるようになった。可愛かった愛しい夫の側面が負担に変わってしまった。
夫は何度か私に「君は僕を愛していない」って言ったことが有り、誰かと浮気どころか結婚してからは男性と二人
で食事にすら行ったことがない自分は、夫を真面目に愛していることに自信があったから夫がそう言う度に本当に
腹が立ったし、構ってちゃんかなって呆れてた。でも夫は私が自分自身で気付いていなかった、私の冷たいさめた
部分を感じていて傷ついていたのかもしれない。
現在、夫とは別居中である。夫は私に帰って来て欲しいし結婚生活を続けたいと言っている。
でも今年中に離婚したいと私は考えている。喧嘩を耐えてでも夫と一生一緒にいたいともう思えなくなったし、も
う自分に嘘をついて生きるのも疲れた。
愛するって難しい。離婚が成立し、しばらく休憩しもしも好きになれる人に出会ったら、今度は傷つくの恐れずに
気持ちをしっかり言葉にして伝えられる恋をしたいと思う。何年後になるか分からないけどね。
花言葉:「伝える」
