書き終わってから、自分の中でみかんが
地味にデカイ存在だったことに気付きタイトル変更。
最初に付けたタイトルは
「巨峰が冷凍庫にあったらゴキゲン」(笑)だったんだけど、書きながら心の奥底にひたひたと流れるみかん愛に気づいた次第です。
巨峰は買ったら洗って冷凍庫へ直行。
凍ったひとつぶを口にほうりこむ。
カチカチに凍った粒が
口内温度で程よくシャーベット状になる。
夏だな、と思う。
お高いさくらんぼが食べたいが
家計的選択で、アメリカンチェリーを買う。
酸味が強くて実に弾力があり、食べ始めたら
やめられない、止まらない。
ゼスプリゴールドを卵のように冷蔵庫に常備したい。甘さと酸味と瑞々しさ、
種のシャクシャクした食感がたまらない。
アンデスメロンは
「安心です」の略らしい。
命名した人のセンス、秀逸すぎる。
息子の幼稚園のころのビデオ。
粘り強く、ぺらんぺらんになった皮の部分を
執拗にスプーンで攻めている。
横のおともだちは既にごちそうさま状態。
周囲が見守る中ストイックな個人戦。
ごめんね、ちょいちょい買ってあげられなくて
母の実家はみかん農家だった。
姉と私は軍手にハサミを持って収穫の手伝いをした。
兄はみかんの段ボールを持ってそり滑りに精を出していた。(大人になった兄は多忙なのに毎年収穫の手伝いに行く。人は変わるものだ。)
おばあちゃんがとりたてのみかんを絞って
作ってくれたみかんジュースは
それはそれは濃厚で甘くて
そこらの自販機で買うみかんジュースは酸っぱくて
なんか別の飲み物だと思っていた。
食卓には大きいみかんも登場した。
母は分厚い皮を物ともせず
夏みかんや伊予柑を素手でがしがしと剥いては
皆の前にとんとんと置いていく。
お母さんは食べんの?
母はふっと笑って何も言わずに皮を剥き続ける
お腹が空いてひんやり冷えた廊下に行くと
いつも段ボールには山盛りのみかん。
あって当たり前の存在だった。
今でも冬に母の実家から箱入りみかんが届く。
だんなは無類のみかん好きなので
ボーッとしていると箱の水位(笑)があっというまに減っている。
息子は送ってくれた瓶詰めのシロップ漬けみかんを丸ごとゼリーにすると、丸ごと持ち去ろうとする。
普通のみかんにはあまり関心がないらしく、
平和が保たれている。
実家には柿の木があった。
昔はあんまり好きではなく、主な用途は
木登りだった。
アオイラガという毛虫は柿の木とセットで
刺された日には氷で冷やして布団で悶絶した。
祖母が亡くなった年、
数年実をつけなかった柿の木が
突如大豊作となった。
送られて来た柿をしばらくおいておいた。
食べ頃を過ぎた頃が私にとっての
柿の食べ頃なのだ。
半分に切ってとろとろになった実をスプーンですくって食べる。
美味しんぼで海原遊山が言っていたが
和菓子は柿の甘さを超えてはいけないらしい。
なんかわかる。日本の味だな。
夫の母が栗を山ほど送ってくれた。
栗ご飯にしてねと。
栗も栗ご飯も大好きだが、
ネットで調べまくって準備オーライのはずが
皮剥きに苦戦。包丁でうっかり指を減らすところだった。
完成品を食べるだけの家族に
どれだけ大変だったかぐだぐだ主張を始める私。
母は偉大だ。いつまでたっても敵わないな。