赤毛のアンと言えば村岡花子訳。


古き良き時代と村岡先生の訳がベストマッチで本がくたくたになっても読み返している。

後に色んな方が翻訳されているが、最もショックだったのは、


「いちご水」は誤訳。ラズベリーコーディアルとはスグリのジュースであるとの記述。

正確さを追求すれば、まあそうなんでしょう。



でもラズベリージュースに無くていちご水にあるもの。
それは「想像の余地」ではないのかな。

映画ならミーガン・フォローズ主役の赤毛のアンが好きだった。
  
さて、このNetflix版はどうかというと、もう、赤毛のアンの設定の外枠だけを借りて自由自在に別世界のアンが誕生している。

マシューはシャイでもじもじしておらず、むしろイケオジ。
マリラはアンが時に愛情を疑う程の厳格さのなかにほとばしるようなアンへの愛情をもった婦人であるが
本作では、厳しさは全面にでておらずむしろ男性の前で髪型を気にしてアレンジを加えてみたりして、マシューがあんぐり口を開けていたりする。
主人公であるアンも、マシューへの手紙に勝手に返事を書いてロマンスに浸ってみたりと、ちょっと違った意味での無鉄砲さを発揮している。

最初こそ、なんだろうな、これは、と入り込めなかったが、別物として観たらなかなか展開が読めなくてスリリングであり、結構楽しめる。

原作のエピソードはあれもこれも削られていて残念ではある。

例えば、アンが行商から赤毛が黒髪になるという謎の粉を小遣いで買ってしまい赤毛がグロテスクな緑になる。

これをマリラは虚栄心が何をひきおこしたかを考えさせアンは仕方なく染まった髪をベリーショートにする。赤毛であっても濃くて美しい髪だったのにと嘆きながら。


このエピソード、好きだからなくて残念。


原作ではこういう子供ならではの無知で可愛らしい失敗を経てしとやかさを備えた、大人の女性に成長し、やがて最愛の人と結ばれ家族を築いていくのであるが、


この物語はどう展開していくのかとても興味深い(まだシーズン2の途中なのです)