ジャンル問わず本を読むのが好きです。

それでもなんというべきか…こう、自分の中のいろんな要素によってすんなり読みこめる時とそうではない時ってのがあって。

今、ちょうどいいコンディションのようでするすると言葉が体の中に入ってきます。

めちゃくちゃ本を読みたい。読書の秋ですね。


最近ぼんやりと考えてることがあります。

「言葉ってなんなのか」

気付くとずーっとこればっかりです。

必要だからこれまで存在し続けているわけだけれど、じゃあどうして必要なのかなぁって。

今私はこんなにも本が読みたくて、誰かの言葉を欲してる。

なんでこんなに必要に思うのかな、とこの欲求の出どころをずーっと突き詰めていった時になんとなく見えたのは

「埋めたい」

私の場合はこれでした。

私にとって言葉っていうのは、自分と自分以外のものとの違いで生まれた距離を、埋めるためのもの
のように思います。

読書に限らず、会話も同じ。
私が今たくさん本を読みたいのは、その隙間を埋められる言葉のやりとりが外でうまくできてないからなのかもしれません。

うん。なんかしっくりきた。

どうなのかな。
専門的な知識は何も持ってないから本当のところはわからないけど、
私にはそれで納得いったのでよしとします。すっきりしたー。


しかし、対人関係うまくいってないのか私……って思うと微妙な気持ちになるなぁ(・_・;)


昨日図書館に向かって歩いていたときのことなのですが……

歩道に茶色くて丸い何かがポツンと置かれているのが遠くに見えました。

近づくうちになんかこう、しゅっしゅって細長いのが集まってかたまりになってるのがわかったんです。
(なんかうまく言えなくて申し訳ない)

栗だ、と。

栗が落ちてると思いました。だって秋だし。

なんでこんな緑なんてこれっぽっちも見当たらないところに栗が落ちてるんだろうと思いながら近づいてみたら…………

髪の毛でした。

切られた髪の毛のかたまり。なんでだ。

栗よりもわけがわからない。だれだよこんなところに置いてったの。落としたの?なんなの?


…びっくりしたんです、っていう話でした。


図書館ではずっとACIDMAM聴いてました。落ち着くし集中できます。

藍坊主だとそっち気になって本読めなくなっちゃうんだよね。

なんかそわそわしてこう…飛びはねたくなって…体揺れちゃうから。図書館でやったら迷惑だもんね。

本に集中できてないとACIDMANでもついつい足でリズム刻みそうになったりして、結構がんばって耐えてました。

今日は図書館でゆっくり過ごします。

図書館、すごく好きです。

地元の図書館は小さくて読みたい本も置いてないことが多かったんだけど、東京っていいですね。

広いし専門書もいっぱいあるし。

私の場合、勉強をするっていうよりは空間そのものを楽しみに行ってる感じなので、図書館の中をうろうろするだけでもすごく楽しいです。


話は変わりますが、私は藍坊主がとっても好きです。

結成したばかりの頃からなのでかれこれ7年?8年?たつかな。ずっとライブ行ってます。

下北の狭いハコでやってた頃を思い出すと、なんだか不思議な気持ちになります。

ライブ最近行けてなくて頭パーンてなりそうだったから、

昨日藍坊主のホームページいってHozzyのコラム読みました。すごく久しぶりに。なんかすごく気持ちが落ち着いた。

藍坊主、知らない方はぜひ一度、彼らの音楽を聴いてみて欲しいです。


では、図書館へゴー!