遺言書を作成しましょうって言われても、

遺言書を作っておくと、どういう意味で良いのかがはっきりしないと書いておこうというモチベーションがあがりません。


それは、ズバリ・・・「遺産分割協議をしなくていい」からです。


はたまた、じゃあ、「遺産分割協議」というのは、どういうことなのか、わからければ遺言書を作る意味も分かったようなわからんような話になってしまいます。


人がなくなると、家族は悲しみ、通夜、葬儀が営まれます。


昭和の時代は通夜も葬式も自宅で営まれ、

親戚や近所の人が助け合いながら、遺族に代わり、炊き出し、葬儀の準備、祭壇の確認、などなど、

その慌ただしさは、親族の悲しみを一時、抑える役割があったようにも思い出されます。


通夜、葬儀が終わって、やっと、家族は本当の悲しみを向かえ、

耐え、乗り越える時間が49日まで続くという流れであったように思います。


そうして、相続という「現実的な手続の仕事」が、


遺族を待っているのです。



それは、およそ、次のフローです。


家族が死亡者のすべての財産や借金を明らかにする

↓自宅、ほかの不動産、株、預金、

死亡者の一生分の戸籍謄本・相続人の戸籍謄本・住民票・登記簿謄本・評価証明書

↓役所に出向き、申請受領する

財産目録の作成


相続人全員で誰が何を相続するかを話し合う・・・遺産分割協議

↓一同に会することができないケースもあり

話し合いの結果を書き残す・・・遺産分割協議書


協議書に基づいて実際に名義を変える・・・預貯金や不動産の名義書換



フローにある言葉を説明していきます。




死亡者の一生分の戸籍謄本

生まれてから死ぬまでの身分上の出来事が書いてある謄本が要ります。


結婚や離婚、縁組は戸籍が変わるのが普通であり、また、役所のシステムの変更による場合もあります。


変更の理由を見つけ、その都度の戸籍謄本を集めることになるのです。



遺産分割協議書

相続人同士の話し合いです。これは、直にお金にからむ話し合いということです。


仲の良い兄弟、親子であっても、「お金」については譲れ合いという者もいます。だから、どんな話し合いになるのか、想像ができないと言えるのです。


兄弟でもおこずかいの多い少ないで揉めることがあるし、しかも、大人になっていれば、相続人の配偶者からの影響があり、まさかの主張をしているということもあるのです。

相続人同士の話し合いで、決着しないと・・・・



裁判所のお世話になること

家庭裁判所のお世話になることを、被相続人が知ったらどう思うでしょう?といても死んでしまって居ないのだから関係ない、でしょうか?


いずれにしても、話し合いが決着しないときには、裁判所の調停を申し立てるという事態に進みます。

しかも、もし、相続税を払うほどの相続財産がるのであれば、時間的な制限も発生します。


裁判所で話し合うことを、特に大げさに捉えること、もう家族ではないとか絆もクソもないということではないと思います。


ただし、消えないしこりが残ってしまうことは否定できないでしょう。


調停で、お互いが納得いく結論になればそれはそれでよいのではありますが。


もし遺言書があれば、相続人は故人の意思に従うでしょうし、遺産分割の協議もスムーズに進むことでしょう。まして、裁判所のお世話になることはありません。家族、親族の絆も今まで以上に強くなるのではないでしょうか。


たいした遺産もないから相続人がもめるような分割協議はありえないと思う方もいるでしょう。

その場合、相続手続自体を忘れてしまうということがあります。そのため、相続財産のk中に、思わぬ負債があったり、また、相続分を持つ家族との連絡がつかなくなり、思わぬトラブルが発生した際に、複雑化してしまうことがあります。


100億の遺産のケースと100万のケースとでも、相続手続をしなければその遺産を相続人に渡ることはありません。金額の多い少ないにかかわらず、全く同じ手続が要るのです。


緊急性という意味では、100万のケースという得るかもしれません。すぐにでも生活費として必要だとも言えるからです。

遺産が少ないほど、時間や手間をかけずに、相続の手続が進むようにしておくべきとも言えます。



だから、財産の多い少ないにかかわらず、遺言書を残すことは、

自分の家族に自分の死を通して困らせないための唯一の方法であり、

最善の手段と言えるのです。

遺言ってそもそも何なのでしょうか


遺言とは、人が自分の死後のために残す最後の意思表示と言われています。


さらに、自分の生きてきたことへの感謝を込めた家族への最後の贈り物ともいえます。


今年3月の震災、サッカー選手の突然死、川下り事故、マスコミや新聞紙上で見る痛ましい事件や事故による犠牲者の方々・・・・・・・・他人ごとに思える死は、いつ訪れるかわからないのです。


被災及び事故に遭われた方には、心より、ご冥福をお祈り申し上げます。



震災に接し、毎日生きているのが当たり前のことではないんだと思わずにいられません。


普段は気づかないけど、よくよく思ってみれば周りの人に支えられている自分、

今は亡き家族がいたからこそ存在している自分、自分一人で生きてるんじゃなく、

ただ死の瞬間まで人は生かされているのだと思わずにはいられません。


そう思うと、1日1日、1時間、1分たりとも無駄には出来ない、自分の時間はとっても貴重なものなんだと思えてきます。


懸命に生きていれば、死は特別なものではなく、日常であるということを思えるのです。


だからこそ、万が一に備えて自分の意思を明らかにしておく、

しかも適切な方法であれば、

家族が相続で困ったり、家族間での争うような事態を避けることが出来るのです。



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そもそも、死を迎える準備とは、何なのでしょうか?


家族が困らないようにするための自分の死に関する準備って何をするのでしょうか?


それは、健康で、バリバリ健康で仕事をしている時、

家族と楽しいひとときを過ごしている時がずーと永遠に続けばいいのですが、そうでなくなってしまう場合に備えるということです。

この準備は、次の4つの段階に分けることができます。





1 健康で、人生を普通に過ごしている場合=いつ死ぬかわからない状態


 →遺言書


死んでしまい2度と口を開くことのないあなたの口から発せられる言葉、想いを確実な形で残すことです。




2 病気、事故などで、他の方の助けなくしては買い物にも、郵便局にも銀行にも行けない位身体に障害ができてしまった事態(体が不自由になった場合)


 →財産管理任への財産管理委任書




3 認知症など判断能力が衰えてしまった状態

 →任意後見契約書





4 延命治療をほどこすしかないという状態

 →尊厳死の宣言書