結構よく聞く意見として「囲碁が面白くなるのには時間がかかる」というのがありますね。

 

 そうなんですかね~?

 

 訳あって入門書を買ってきた私は囲碁のルールを半分知った時点で、

 「スッゲー面白そうじゃん!!」

って思いましたよ。

 そのルールとは、陣地の大きい方が勝ちというやつです。

 

 「ふむふむ、石で陣地囲うのね。

 それは、つ、ま、り、

 大きく囲えば勝ちなんだけど、大きすぎると自分の陣地の中に相手が陣地を作っちゃうからせっかく作った陣地が無くなっちゃうってことだね。

 でも小さく囲うと相手の方が大きくなって負けちゃうんだね。

 だ、か、ら、

 ちょうど良いくらいの大きさで、ちょっとだけ相手より大きい陣地をお互いが作ろうとするっていうゲームだね。

 で? なになに? プロでも初手の正解が分からないんだって? 9路でも? へー!!

 めっちゃ面白そうじゃん。

 ひょっとしたら僕がその丁度いい大きさと初手を見つけちゃうかもよ。

 うっわー、やりてー、打ちてー、誰か相手いないかな~」

 

 こんな感じでした。

 この時点でまだ石の生き死にの概念は、分かってませんでした。

 とにかく囲えば良いんだろ、と。

 

 次に囲めば取れるのルールを知り、死活という概念を理解しました。

 「なるほど、これは重要そうだ。石を取られたら囲めなくなっちゃうな」

 と思って、初心者向けの詰碁の本を買ってきて、1手で生きる詰碁を考えてみました。

 「こんなもんどこでもいっしょじゃねーのかなあ。 う~ん、じゃあ、ここだ!」

と思って答えを見ると不正解。その隣が正解。

 「え?正解ってそこしかないの? 本当に? へー、1路違うと全然違うんだ。こりゃなかなか手強いな」

 

 ここから弱いくせに囲碁に取りつかれた人生が始まりました。

 

 そうなんです。私は入門した時点からずっと

 「囲碁めちゃ面白い!」

 「打ちたいよー」

だったのです。

 

 あいにく当時(30年以上前)はネット碁もほとんどなくて、初心者が碁会所だなんて恐怖しかなく、ただただ打ちたい気持ちに悶々としつつ、棋書で勉強するだけの日々でした。

 でも、おかげで囲碁打ちたい気持ちがどんどん醸成されたのかも知れません。

 

 囲碁は、勉強すればするほど面白くなる。

 

 それはその通りなのですが、入門者や初心者には囲碁の面白さが分からない、というのを聞く度に「そんなことないのに」と思うのです。

 実際僕は最初っから(打つ前から)囲碁が好きで面白かったのですから。

 

 何となくですが、ルール覚えてから時間をかけて頑張ってやっと囲碁が好きになった人が多いというのは、学校の勉強と似てる気がするんです。

 勉強って、興味のあることなら本来楽しいことなんですよね。だから大人になってからの勉強は面白いんです。そこにはやらされ感が全く無いですから。

 

 つまり、囲碁界で良く聞く

 「最初は面白くない」

 「面白さが分かるのに時間がかかる」

というのは、囲碁そのものの特徴ではないと思っています。

 

 入門者への教え方、興味の持たせ方、なんとかして囲碁ファンを増やしたいという雰囲気。

 そして布教とまでいわれる普及活動など、囲碁本来のもの以外によってそうなってる側面もあるのではないか、と感じてます。 

 つまり、元々囲碁に向いてない人にも分かってもらおうとしてるのではないかと。

 

 囲碁覚えたいって? やめたほうがいいよ。

 「えー、教えてよー!」

 と言われたら教える。

 

 というくらいで、ちょうどいいのかもと、本気で思ったりします。