僕はレートの正確なネット碁で負けるのがとても怖くて、対局に踏み切れなかったのですが、ツイッターで頂いた助言と、それを元にした自分の気づきにより、あっさりと克服できてしまいました。
とても嬉しいことだったので、記念に書き残しておきます。
僕の棋力は、ほとんど全て棋書を読んで伸ばしてきました。
入門時点からずっと同じです。
要するに、独学です。
詰碁、手筋もやりました。
棋理を学びました。
頻出形のみですが定石も学びました。
そして実戦対局は、自分の力の伸びをただ確認するために打ちました。
ですから、棋書から何かを得て、「これは伸びたかも」と思った時に対局しました。
つまり、私にとって対局とは、勝つことで実力の伸びを確認するために行うものだったのです。
したがって、実戦で負けると伸びてない現実を思い知らされます。
囲碁ルールを覚えてから30年以上、自分ではそうと気づいてなかったのですが、確かに私は、対局を実力の確認手段ととらえていました。
ルールを覚えて10年で初段。
その後5年で二段。
さらに5年で三段。
ところがそれから10年以上、棋力が伸びていません。
脳ミソの容量を超えたのか、棋書から新しい何かを取り入れることが出来なくなっているのです。
棋力が伸びてると実感できないのだから、対局する意味がありません。
打てばただ負けて、伸びてないという、つらい現実を突きつけられるだけです。
そう、思っていました。
「負けるのが怖いから打てない」
この私のツイートを見て、ある方がご自身の経験を語ってくれました。
ありがたいことです。
その方の話を聞いてふと気が付きました。
私は、現実を受け止めていないのだ、と。
現実を直視しないから、伸びない原因も分からず、対策を立てられず、ただ悶々としているだけなのです。
「現状把握は最優先」
仕事の上で起きる諸問題に対処する際に心がけている、私の揺るがぬ指針です。
それなのに、なぜかこれが出来ていなかった。
よし、現実を見よう。それから対策を立てよう。
現実を見るには、そう、対局するしかない。
自分の弱点が何なのか、対局しないで分かるわけがない。
負ける恐怖心は一瞬で消えました。
伸びを確認するための対局だから負けるのが怖かったのです。
問題点を確認するための対局なら何も怖くない。
負ければ自分の欠点が分かるじゃないか。
むしろ、負けなきゃ分からないじゃないか。
これはもう、対局するしかないですね。
さらに、ついさっき、もう一つ重要な事に気がつきました。
棋書ベースの勉強で棋力を伸ばすのは、私の場合、今の棋力が限界なのではないか、ということです。
いや、きっとそうです。
棋書には、私個人の欠点など書いてないのです。
たぶんここから先は、自分で対局し、反省し、強い人に手直ししてもらい、強い人に負かしてもらって、何かを吸収していくしかないのでしょう。
きっと、私はその段階まで来ていたのです。
これからは勉強方法のステージが変わる、そういうところにきっと居るのでしょう。
そう考えれば、むしろ早く打ちたい、とはやる気持ちを抑える感じになってきました。
ということで、これからまた対局してきます。
負ければ自分の欠点を把握でき、勝てばそれはそれで嬉しい。
対局の結果は、良いことしか起きません。
むしろたくさん負けたいくらいです。
そう、私の囲碁の目標は強くなることであって、勝つことではないのです。