陣地内にある死に石は、終局時になぜ囲まずに取り上げて良くて、またその死に石を含むアゲハマで相手の陣地を埋めるのはナゼか。

 

「囲めば取れる」こそが囲碁の大原則なら、なぜ終局時にはその大原則が崩れてしまうのか。

 

私が囲碁を始めた時につまづきかけた話なので、同様に感じる方もいらっしゃるのではないかと思います。

 

私の人生初対局時に、囲碁を手ほどきしてくれた義父が「これは死に石ね」と盤上からたくさんの黒石を剥がされたときの衝撃といったら、今も鮮明に覚えています。笑

 

そういうルールである、という説明はされますが、なぜそういうルールなのかの説明は見たことがありません。

 

私はこう理解しています。 (以下、完全な私見です。)

 

結論を先に言うと、純碁の勝敗結果と(ほぼ)同じ結果になるようにし、かつ簡単に勝敗を数えやすくするため、と考えられます。

 

純碁は、「囲めば取れる」のルールにて、盤上に置けるだけ石を置いて、盤上に残る石数を競うものです。

 

純碁でも地の境界線がまずできあがり、その後陣地内には自分の石を置くことになります。

 

陣地には自分の石のみを置けると考えると、結局は石数+目数で競うのと(ほぼ)同じです。(ほぼ、というのは2目残す必要がある件です)

 

囲碁で陣地内の死に石やアゲハマで相手の陣地を埋める行為は、「地の境界線」を動かしませんので、石数+目数の合計を変えるものではなく、勝敗結果は全く変わりません。

 

囲碁は必ず交互に打ちますので、終局までに使った石数は白黒同数か、黒が1個多いかのいずれかです。

 

したがって、死に石やアゲハマで互いの陣地を埋めた時点では、盤上に存在する石数は同じか黒が1個多いことになります。

 

取り敢えず盤上の石数は同数、ということにします。すると、残った目数の大小が勝敗を決めることになります。ということで、目数を数えて勝敗を決めることになりました。

 

これが、アゲハマで埋めた後の目数の大小(地の大小)を競う日本ルールの原型です。

 

ここで仮に、地中の死に石も囲んで取らねばならない、ということにすると何が起きるでしょうか。

 

相手の陣地に1個打ち込むとその石を取り上げるために周りに4個石を置く必要があります。

 

相手が4回ダメ詰めしている間、ムダ石を打ち込んだ側はパスすることになります。

 

これをすると、「使う石数が(ほぼ)同数」という原則が崩れるのです。

 

困りました。石数が同数なら地を数えるだけで勝敗が決められたのに。

 

そこで賢明な先人達は考えました。

 

終局時の死に石は囲まずにアゲハマにして良い、ということにしました。

 

すると、なんと相手の陣地に打ち込んで、相手がパスして無駄死にした場合は、打ち込んだ側が損をすることになりました。これにより、生きられない石を打ち込まないようにする、という技術的に大きな効果が生まれました。

 

また、終局時の手入れ要否の判断が陣地の増減に直結することになり、より厳密な読みが必要になりました。 

 

つまり、「地の大きい方が勝ち。終局後の死に石は取り上げて良い」という日本ルールは、純碁の勝ち方の指針であり、碁の数え方を簡易化するものであり、さらにルールが自然に棋力向上にも寄与する、という側面も合わせ持っているのです。 

 

さて一つ気になるのは、石数は黒が1個多いケースがあることの無視です。

 

これが中国ルールと勝敗が変わるケースにつながっています。

 

また、純碁では最後に残す目2つが点数にならないのに、日本ルールでは目2つも点数にするため、終局時の生き石の分割数によって、純碁と結果が大きくずれる場合があります。

 

この点については、「地を大きくすることが純碁に勝つコツである」から始まったものが、「地の大小を競えば良い」に省略化というか単純化というか昇華というか、ルールとして純化したことによるものだと理解しています。