コーポレートガバナンス改革への批判
日本のコーポレートガバナンス改革に対する批判的な言論の中に、「株主の利益のみを重視する」「海外の投資家は短期間の利益を求めすぎる」ということがよく言われます。
1990年代後半から2000年代前半、不良債権にあえぐ日本経済を立て直すための構造改革の一環として企業制度改革が進められました。多くの企業・銀行が破綻し、ハゲタカと呼ばれた企業再生ファンドに安値で買いたたかれるさまを見た世代にとって、上の批判は納得しやすいものです。
例えば前回ご紹介した河野龍太郎氏は、対談に基づく著書の中で次のように述べています。
「1990年代後半の金融ビッグバンの際に、アメリカスタイルのコーポレートガバナンス改革が始まりましたが、それは、基本的に「企業経営者の役割は株主の利益を最大化すること」という考え方に基づいています。
一見すると正しい主張に思えますし、それが当然だと感じる読者も多いかもしれません。しかし、私自身は、コーポレートガバナンスの目的とは、株主だけでなく、従業員、債権者、取引先、地域社会など、企業に関わるあらゆるステークホルダー全体の経済厚生を高めることにあると長く考えてきました・
つまり、企業経営者に対して適切な規律を与えることで、関係者すべての利益に配慮した経営が行われるべきだという立場です。というのも、株主は時に、他のステークホルダーを犠牲にしてまで、短期的な利益を追求する傾向があるからです」[1]
それでは、コーポレートガバナンス・コードも、「株主利益を最大化する」「短期的な利益を追求する」ためのものでしょうか。
「中長期の株主」「様々なステークホルダー」を掲げるコーポレートガバナンス・コード
2015年に始まったコーポレートガバナンス・コードは、少なくとも当初は、そして文面上はそうではないのです。時系列でみると、日本における不良債権処理やリーマンショックとその後の世界金融危機を経たあとだけに、株主至上主義がそのまま受け入れられる状況ではなくなっていたのです。
「コーポレートガバナンス・コード原案」の序文を見ると、その目的の中に次のような表現が見出せます[2]。
「「コーポレートガバナンス」とは、会社が、株主をはじめ顧客・従業員・地域社会等の立場を踏まえた上で、透明・公正かつ迅速・果断な意思決定を行うための仕組みを意味して[いる]」
「会社は、株主から経営を付託された者としての責任(受託者責任)をはじめ、様々なステークホルダーに対する責務を負っている」
「本コード(原案)は、市場における短期主義的な投資行動の強まりを懸念する声が聞かれる中、中長期の投資を促す効果をもたらすことをも期待している。市場においてコーポレートガバナンスの改善を最も強く期待しているのは、通常、ガバナンスの改善が実を結ぶまで待つことができる中長期保有の株主であり、こうした株主は、市場の短期主義化が懸念される昨今においても、会社にとって重要なパートナーとなり得る存在である」
このように、コーポレートガバナンス・コードは、会社が株主だけでなく様々なステークホルダーに対する責務があることを認め、中長期保有の株主を主なパートナーとして考えることが明示されています。
以上から、当初の考え方を見る限り、コーポレートガバナンス・コードについて、短期的利益を求める株主だけのためのものであると決まり文句で批判することはできないことがわかります。
とはいえ、前回の投稿でみたように、ステークホルダーのうちの従業員に対する配分を軽視していること、コードのフォローアップの過程で次第に株主至上主義の性格を強めたことを考慮すると次のように言えるかもしれません。日本のコーポレートガバナンス・コードは、米国のステークホルダー資本主義を先取りしたようなバランスの取れた内容だったが、当初の理想はコードが改訂される中で変質した、そして理想は高いが実行されなかったと。
[1] 河野龍太郎・唐鎌大輔『世界経済の死角』2025年、229~230頁
[2] 「コーポレートガバナンス・コード原案」序文。東京証券取引所のHPより