先週(9月8日)に引き続いて、明治神宮外苑の再開発に反対する話です。反対の理由は、仮に外苑の土地規制が東京都と新宿区によって変更され法律上は再開発が可能となったとしても、明治神宮外苑を私的利益のために再開発することはその歴史から見て大きな問題があるということです。その点を、1937年に明治神宮奉賛会により刊行された『明治神宮外苑志』(国会図書館でデジタル化されており、国会図書館のIDを取得すれば誰でも自分のパソコン等で読むことができます)によって見たいと思います。ポイントは、①造営のお金は誰が出したか、②造営した人々が明治神宮に寄付する時の条件は守られたか、です。

まず①の資金面ですが、比較的よく知られている通り、また、私も先週書いたように、外苑は全国の国民の寄付とボランティアによってつくられました。この意味は、国や東京都(東京市)のお金は入っていないということです。皇室の下賜金を除けば、寄付金のみでつくられたものなのです(土地は国有地)。ですから、現代の再開発事業者は近隣住民だけを対象に説明会をしているようですが、外苑創建の経緯から言えば、国民を対象に説明する必要があるのです。

1915年9月、資金を集め造営を進める民間団体として、明治神宮奉賛会が創立されると、その趣旨に共感し明治天皇を慕う国民から先を争うように続々と寄付の申し込みが寄せられました。奉賛会には有力銀行から納付を取り扱わせてほしいとの懇請が相次ぎ、献金は日本各地にとどまらず朝鮮・台湾や海外移民からも集められました。こうして1915年の奉賛会創立から1920年の寄付締め切りまでに御下賜金30万円を合わせて約836万円の収入があり、これによって造営が行われたのです。その時点の収入内訳はわかりませんが、神宮奉献(1926年)から10年ほどを経た1937年4月までの累計収入の内訳が記載されています。これを見ると献金およびその運用益が収入のほとんどを占めることがわかります。

 

科目

創立以来昭和12年4月迄の累計(円)

御下賜金

300,000

御下賜金利子

174,311

献金

7,033,640

預金利子

2,765,809

雑収入

413,258

受託工事費収入

4,405

震災特殊会議費収入

2,033

外苑収入

67,463

公債利子収入

126,308

画帖収入

172,010

五分利公債証書売却代収入

316,350

四分利満州国北鉄公債利子

12,869

仮払金戻入

5,130

 計

11,393,590

府県其他控除献金収入

549,365

振替貯金控除献金収入

21

総計

11,942,977


(以上『明治神宮外苑志』26~31頁、表の数字は1円未満切り捨て)

次に②の外苑を奉献する時の条件について見ていきましょう。明治神宮奉賛会は外苑の工事を終えて1926年10月22日に明治神宮に奉献するにあたり、明治神宮宮司に対して、外苑の今後の取り扱いについて8項目からなる「外苑将来の希望」を出しました。『明治神宮外苑志』では「明治神宮宮司へ左の一札を入れたり」としており、以下のことを守って下さいね、と釘をさしたわけです。

8項目の概略は次のようなものでした。

(1)明治天皇と昭憲皇太后を記念して造営した基本精神を失わないようにお願いしたい

(2)上野公園、浅草公園のように遊覧のみを目的とする施設とは異なるので、明治神宮に関係のない建物の造営は遠慮し、博覧会場などにも使用しないようお願いしたい

(3)常に清浄を保ち修理を怠らず不潔不浄はないようにお願いしたい

(4)外苑の美観統一のために今後の工事を諮問する専門委員を置いてほしい

(5)憲法記念館は木造なので防火のため広く空地を保ってほしい

(6)明治維新に貢献した皇族や功臣の銅像を建てる計画は実行されなかったが、奉献の申出があるときは専門委員で審議してほしい

(7)明治天皇と昭憲皇太后の等身銅像を下付されるという話があったものの取りやめになったが、予定場所の絵画館広間にはそんな経緯があることを記憶にとどめてほしい

(8)奉賛会会員の待遇特典は、外苑奉献後も尊重してほしい [1]


[1] 「外苑将来ノ希望

 (中略)

(一)外苑ハ 明治天皇及昭憲皇太后ヲ記念シ明治神宮崇敬ノ信念ヲ深厚ナラシメ自然ニ国体上ノ精神ヲ自覚セシムルノ理想ヲ基礎トシ一定ノ方針ヲ以テ設計造営セラレタルモノナルヲ以テ今後之カ管理及維持修理上ニ於テモ常ニ右理想ヲ失ハサル様篤ト御注意アリ度事

(二)外苑ハ国民多数報恩ノ誠意ニヨリ明治神宮ニ奉献セルモノニテ他ノ遊覧ノミヲ主トスル場所例ヘハ上野、浅草両公園ノ如キトハ其性質ヲ異ニスルヲ以テ今後外苑内ニハ明治神宮ニ関係ナキ建物ノ造営ハ遠慮スヘキハ勿論広場ヲ博覧会場等一時的使用ニ供スルカ如キ事モ無之様御注意アリ度事

(三)外苑ハ常ニ清浄ヲ保チテ修理ヲ怠ラス不潔不浄ノコト無之様深ク御注意アリ度事

(四)外苑ノ美観統一ヲ永遠ニ保持スルニハ常ニ適当ナル施設ヲ要スヘク之カ機関トシテ専門委員ヲ常置シ将来建造物木石等ノ奉献申出アリタル場合ニ於テハ先以テ位置設計等同委員ノ意見ヲ徴シ許否ヲ決セラルルカ如キ方法ヲ採ラルル様致シ度事

(五)憲法記念館ハ木造ナルヲ以テ最モ防火ノ注意ヲ肝要トス依テ同館周囲ハ建物ヲ造ラス庭園トシテナルヘク広ク空地ヲ存シタルモノナルコトヲ記憶ニ留メ置カレ度事

(六)明治維新中興ノ大業ニ付テ最モ勲功アル皇族及功臣ノ銅像ニ限リ十基以内ヲ外苑内ニ建設スルコトハ当初本会外苑設計委員ノ承認ヲ経タルモ人物ノ順位銅像ノ位置並製作上ニ付考究ヲ要スルモノアリテ終ニ実行ニ至ラス右ハ今後改メテ奉献申出アルトキハ更ニ専門委員ノ審議ヲ経テ決定アリ度事

(七)明治天皇及昭憲皇太后ノ等身御銅像ヲ其筋ニ於テ製作セラレ本会ニ御下附ノ上聖徳記念絵画館広間ニ安置ノ内議アリシモ其後議変リ下附セラレサルコトトナリタリ就テハ同広間ハ右様ノ由来アルコトヲ記憶ニ留メ置カレ度事

(八)本会会員ノ待遇特典ハ本会創立以来ノ規約ナルヲ以テ本会閉会後ト雖モ右規約ノ趣旨ヲ尊重セラレ度事

以 上

大正15年10月22日

明治神宮奉賛会会長 正二位勲一等公爵     徳川家達

副会長正三位勲一等子爵  渋沢栄一

副会長正三位勲一等男爵  阪谷芳郎

副会長従三位勲一等男爵  三井八郎右衛門

明治神宮宮司従二位勲一等功二級陸軍大将 一戸兵衛 殿

 

 

(以上『明治神宮外苑志』p.88~p.91)

「外苑将来の希望」の全体を通して、明治天皇ご夫妻を崇敬する施設として造営した基本精神を大事にしてほしい、という基調が流れています。そして(2)では、単に遊覧を目的とするほかの公園とは違うことに注意してほしい、と注文しています。当時の人々は、まさかその公園どころか都市再開発の対象になろうとは、思いもよらなかったことでしょう。
 
原文に明治神宮奉賛会の代表4名の名前が記されていますが、そこには三井八郎右衛門の名前もあります。再開発を進めている事業者のご先祖様です。

明治神宮をつくった当時の人々の気持ちを、今の企業人、神宮に奉職している人、それを支えている人、そして私たち国民すべてが忘れてしまったのです。まるで4500年以上前のピラミッドのようにその精神は忘れられて形だけが残り、その形さえも傷つけられようとしています。