韓国の歴史教科書の近代史部分を読んで一番感じるのは、抗日運動の記述が延々と続くことです。韓国併合は、日本の軍事的圧力を背景に皇帝・政治家・民衆の抵抗を排して行われましたので、抗日運動の記述は韓国民にとって大事なのはわかります。しかし、特に植民地時代の記述を読むと、朝鮮半島の人々は年がら年中、抗日闘争にあけ暮れていたような印象です。

 

『韓国近現代の歴史』日本語版の構成

(韓哲昊ほか著、三橋広夫訳、明石書店、2009年。B5判338頁)

I 韓国近現代史の理解

II 近代社会の展開

III 民族独立運動の展開

IV 現代社会の発展

 

 この教科書は、2003年から2013年の間、高校2、3年の選択教科としてカリキュラムにあった「韓国近現代史」の一つです。訳者によると、複数ある教科書から翻訳対象として本書を選んだのは、「史資料に語らせる」スタイルが特徴的であったから、とのことです。

 

 大きく4編構成になっており、Iはこの教科についての総論的説明、IIは19世紀後半~1904年ごろ、IIIは1904年~1945年、IVは日本の敗戦以降の現代史、ということになります。植民地時代はIIIにあたりますので、その概略を見てみます。なお、( )内はその見出しにあてられた本文の頁数を勘定したものです。

 

III 民族独立運動の展開(105頁)

III-1.日帝の侵略と民族の受難(24頁)

1.20世紀前半の世界

2.日帝の侵略と国権の被奪

3.民族の受難

4.経済収奪の深化

5.まだ進行中の軍隊慰安婦論争

III-2.3・1運動と大韓民国臨時政府(12頁)

  1.3・1運動以前の国内民族運動

  2.わが民族の独立の意志を全世界に知らせた3・1運動

  3.民族の願いを集めて、臨時政府を打ち立てる

III-3.武装独立戦争の展開(27頁)

  1.疲れを知らない抗日の波、先頭に立つ学生たち

  2.一身を捧げて、独立を達成できるならば

  3.武装独立戦争を準備する

  4.独立戦争の波が沸きあがり

  5.苦難と逆境を切り開く

  6.団結して、光復の道に!

III-4.社会・経済的民族運動(24頁)

  1.理念と路線の違いを乗りこえて

  2.実力を養って独立を

  3.農民と労働者が立ち上がる

  4.国外移住同胞の活動

III-5.民族文化守護運動(18頁)

  1.日帝の植民地文化政策

  2.国学運動の展開

  3.宗教と教育活動

  4.文学と芸術にこめられた民族の魂

 

(以下の文章では、上位の算用数字を「章」、下位の算用数字を「節」とします)

 

 目次の構造からは、まず第1章の「侵略」「国権被奪」「受難」「収奪」でこの時代の全体像を描き、それを受けて第2~4章の抵抗運動・独立運動が展開する、5章の文化史も同様に「日帝」との闘いであった、と理解できます。

 

頁数を見ると、第2~4章に63頁があてられています。植民地時代の歴史全体(第III編)が105頁ですので、実に60%が抵抗運動・独立運動にあてられているわけです。この部分が歴史の本体と言ってよいでしょう。

 

また、抵抗・独立とは直接関係ない社会主義思想の流入(「理念と路線の違いを乗りこえて」)や、農民運動・労働運動(「農民と労働者が立ち上がる」)も含めて、日本との闘いに含まれています。まるで、この当時のすべての社会的な矛盾の原因が日本の植民地支配にあるかのようです。

 

 例としてこの時代の朝鮮人の大部分を占めた農民に関する記述を見ましょう。第3節の「農民と労働者が立ち上がる」は「3-1 農民運動の展開」から始まりますが、その学習目標は次のように記されています。

 

学習目標:農民の生存権闘争によって起きた小作争議が、次第に日帝の収奪に抵抗する抗日民族運動の性格を帯びていったことを理解する。

  (『韓国近現代の歴史』210頁)

 

 その記述は、まず、1922年のある農民大会の宣言文の引用で始まります。

 

われわれ農夫は数百年間無理な地主の横暴のもとで黙々と、言葉で言い表せないほど暗澹たる生活をしてきた。日が経つにつれてわれわれの生活は不安定になるばかりである。生活の不安定さに直面したわれわれは生活が急に悪化することを切実に悟った。われわれにはまだ血があり、力がある。わが農夫も人であることを悟った。われわれは奴隷の境遇から解放されなければならないと主張しようと思う。・・・

 われわれは食べ物もなく、着るものもなく、またいる所もなくて道端でさまよっているではないか。これがわれわれの運命であり、巡り合わせか。決して運命でもなく、巡り合わせでもない。ただ無理な地主の横暴に起因する。・・・

  (同上)

 

 冒頭で「数百年間」と出ていますから、日本の植民地支配とは直接は関係ないでしょう。李朝時代からの封建的な体制が続いていることを訴えていると思われます。これを受けて教科書は次のように書きます。

 

日帝植民統治のもとで少数の親日派を除いては、誰でも関係なく苦痛を味わったが、その中で最も深刻な収奪に苦しまなければならなかったのは農民だった。農民は日帝が実施した土地調査事業と産米増殖計画のために生活基盤である土地を失っただけでなく、上の文章でわかるように、地主の苛酷な収奪に苦しめられなければならなかった。

  (同)

 

 史料を素直に読めば、封建的な土地所有関係という問題が取り出せるはずですが、執筆者はその前に「日帝」の話を入れたいようです。しかし封建的土地所有にもとづく小作争議は、植民地朝鮮に特有の出来事ではなく、当時の日本でもたくさん起こりました。同じ国家内の出来事ですが、朝鮮半島に特有のことではありません。そこになぜ「日帝」が出てくるのでしょうか。あらゆる社会矛盾と植民地支配を関係づけたいのではないかと疑いたくなります。

 

 独立運動家は年がら年中闘争していたと思いますが(特に朝鮮半島の外で)、農民をはじめとするその他大勢の朝鮮人は、稼ぎ、家族をつくり、まわりの人と付き合っていた、つまり普通の生活をしていたはずです。この教科書が言いたいのは、植民地下の朝鮮人は「日帝」の弾圧と収奪にあえいで、普通の生活もできず苦難の日々を送ったということでしょう。しかし、この時期の朝鮮が高水準の経済成長と人口増をとげた(李栄薫『大韓国民の物語』97頁ほか)ことをどう説明するのでしょうか。

 

 教科書の編集方針を検討するために、第4章「社会・経済的民族運動」のほかの節の学習目標を並べてみます。

 

1-2 民族唯一党運動の展開

学習目標:民族主義陣営と社会主義陣営が合同して単一化された民族運動を推し進める動きが台頭し、その結果、新幹会や槿友会が組織されて抗日民族運動を展開したことを理解する。

  (202頁)

 

3-2 労働運動の展開

学習目標:日帝の植民地工業化推進による苛酷な労働条件によって労働争議が頻繁に起きたことを知り、これらの労働争議は反帝・反日闘争の性格を帯びながら展開されたことを理解する。

  (212頁)

 

4 国外移住同胞の活動

学習目標:国権強奪以後、日帝の苛酷な弾圧と収奪のために国外に移住する同胞が増え、彼らは苦痛と受難を味わいながら民族独立運動に寄与したことを理解する。

  (216頁)

 

 植民地時代の全体を描く思われる第1章「日帝の侵略と民族の受難」ではどうでしょうか。

 

3-1 民族的抵抗運動を押さえこむ憲兵警察統治

学習目標:日帝が植民地支配のために設置した朝鮮総督府体制を調べ、総督府体制で行われた憲兵警察統治が武力でわが民族の抵抗を弾圧する抑圧統治だったことを理解する。

  (142頁)

 

3-2 日帝が実施したいわゆる文化統治の実情を理解し、それがわが民族を離間・分裂させ、民族意識を変質させる植民統治政策に過ぎなかったことを探究する。

  (144頁)

 

 きりがないのでやめますが、「学習目標」を読むと、「日帝」の暴虐な、あるいは狡猾な支配ぶりを教育することで一貫しているといえます。気持ちはわかるのですが、この時期に105頁も割いているわけですから、もう少し記載することがあるのではないかと思います。

 

 例えば、上の学習目標に「朝鮮総督府体制を調べ」とありますが、総督府についての記述は、憲兵警察体制と武力で弾圧したという以外は手薄です。すなわち、総督府の組織体制、地方行政、法令、経済政策などは何も書いていないのです。教育については少し書いてありますが、「わが民族に基礎的な実業技術教育を行わせて下級技術の人材を量産しようとする愚民化政策を実施した」(222頁)と、極めてネガティブです。1924年、日本で6番目の帝国大学として京城帝国大学が置かれたことについては、「日帝は韓国人の不満をなだめるため」と不満げな書きぶりです。

 

 日本人も他の国に支配されたことがありますが、日本の歴史教育では、GHQの体制、出された指令、経済施策などが教えられます。韓国の教科書には、そのような「支配のされ方」に関する客観的な記述がないということです。事実を伝えるというよりも、マイナスの感情を植え付ける目的が強いように思われます。1945年からそう遠くない時期に、植民地時代の影響を脱するためにそうするのはわからないでもないのですが、それが60年以上経った段階でも続いているとは。「愚民化」教育とはいつの時代のことなのでしょうか。

 

 最後に、この教科書への根本的な疑念を記します。抵抗運動・独立運動に圧倒的に多くの頁数を割いている組み立て、そして社会的矛盾の原因すべてを植民地支配に求める書きぶりなどから、この教科書(あるいは韓国の歴史教育で)は、1910年から1945年まで、日本と戦争をしていたと教えたいのではないかということです。しかしいうまでもなく、その認識は、その時代の国際社会の常識からかけ離れた偏ったものです。