前回、いくつかの韓国近代史に関する書籍で、韓国の歴史教育(歴史認識)の問題点が指摘されていることを記しました。今回は、教育や認識の元になる歴史研究者たちに焦点をあてたいと思います。まずは、2007年にこの問題に切り込んだ『大韓民国の物語』(李栄薫)からです。

 

いつの頃からであろうか。文章を書くときに自己検閲をかけるようになった。文章を書く人間が、文章の論理と実証性を厳密に考慮するのではなく、「このような言葉を使っても良いのだろうか」と余計な心配をして論点の核心部分をぼかしたり、表現を曖昧なものに変えてしまうのが自己検閲である。書いた文章を知り合いに読んでくれと頼んでも、論理と実証には無関係な細かい表現をめぐって、「日本びいきの右派にされてしまう危険性がある」というありがたい指摘を受けることがある。それもやはり自己検閲ということでは同様である。この場合の検閲者とは韓国の横暴な民族主義である。すでに何人かがその検閲に引っ掛かり、散々な目に遭っている。そもそも事前に提示された客観的な基準があるわけではない。ひたすら人民裁判式に責め立てられるのみである。裁判にかけられた者は謝罪をしたり、隠遁したり、逃げだすしかない。実際に裁判にかけられる者もいる。出版された書籍が青少年有害図書として指定され、無理矢理に回収された場合もある。

  (『大韓民国の物語』日本語版2009年、15~16頁)

 

 筆者の李栄薫は事実、慰安婦の実体に関する主張をめぐって2004年に挺身隊問題対策協議会から攻撃を受け、慰安婦関連施設として有名なナヌムの家では土下座をさせられたといいます。同じような事例は、2014年に著書『帝国の慰安婦』で攻撃・告訴された朴裕河(世宗大学教授)、最近では2019年の慰安婦が売春婦だとする大学での講義内容について告訴された柳錫春(延世大学教授)、論文「太平洋戦争における性行為契約」が韓国を震源地とする攻撃にさらされたラムザイヤー(ハーバード大学教授)など、慰安婦問題を中心にたくさんあります。

 

私は本書で、そのような検閲を強いる韓国の民族主義を批判し、過去50年の間、民族主義の歴史学が、20世紀の韓国史の道筋をどれほど深刻に歪めてきたのかを晒そうとした。そして、自由な本性をもち、「分別力のある利己心」である個々の人間こそが、民族に代わるものだと主張した。そのような人間を歴史の基本単位とし、彼らが編み出した生産と市場、信頼と法治による国家の歴史として、20世紀の韓国史を書き直さなければならないと提案した。

  (同上)

 

 そのような傾向はおそらく長い間続いてきたものと思われます。1970年代の状況について、アメリカ人の学者によるこんな証言があります。

 

40年前に植民地時代の朝鮮研究を始めたとき、本格的に取り組むべき具体的な研究課題として何が“ふさわし”く、何が“ふさわしくない”かについて、私を指導してくれた韓国の歴史学者たちから多分に辛口の助言を得たことが思い出される。

  (マイケル・ロビンソン「序文」。ブランドン・パーマー『検証 日本統治下朝鮮の戦時動員1937-1945』

   日本語版2014年、7頁)

 

 ロビンソンは、研究対象として植民地時代の代表的な文学者、李光洙を選びました。李光洙は、3.1運動の独立宣言書を起草した人ですが、のち植民地下で小説家・思想家として活躍し、現代の韓国では親日派と位置づけられています。

 

しかし、研究を進めるに当たって助言を仰いだとき、韓国の歴史学者の大半から改めて、(相手によっては極めて手厳しく)李光珠[洙]の書いたものは読んではいけない、と告げられたものである。つまり、韓国人はかつての対日協力者たちを蔑んでいたが、晩年の李はその主要な対象のひとりだったから、彼の書き物は実のある研究の対象にするだけの価値はない、というのである。1970年代のソウルにいて、韓国人の歴史学者が標榜する民族主義的史観に逆らって研究成果を発表しようとすることは、韓国の史学会から村八分的扱いを受けることを意味した。

  (同書7~8頁)

 

 ハーバード大学教授で朝鮮史を専攻するカーター・J・エッカートは、その1991年に刊行された著書の冒頭で、植民地朝鮮における資本主義の発展を証明するエピソードを紹介します。

 

 江華島条約(1876年)当時、朝鮮の名族出身者、閔斗鎬と、閔家の小作人であった貧農の朴文會の身分格差は絶大なものでしたが、その子孫たちは、1945年までにソウルにある同じ会員制社交クラブのメンバーになっていました。彼らはともに、朝鮮で発展した産業の株主になったのです。資本家階級が、植民地朝鮮で誕生し成長したということです。

 

しかし多くの韓国人は、この時期に自国の資本家階級が誕生したことを受け入れようとしない。なぜなら1876年から1945年までの大半は、日本の直接あるいは間接的な影響下にあったからだ。実際、この70年間の半分(1910~45)は日本の植民地だった。今日、活気に満ちた韓国資本主義は世界的に評価されている。資本家がこの時期に誕生したと認めれば、その起源が日本にあると認めることになる。国民的自負心がデリケートで、反日感情とも強く結びついている国家においては、日本が「近代化」を促進したという考え方は、耐え難いものなのである。

  (カーター・J・エッカート『日本帝国の申し子』日本語版2004年、22~23頁)

 

反日感情があるのは半島の南半分だけではない。北朝鮮においても、日本に対する苦い思いは、時の流れに風化することなく人々の心に深く刻みこまれている。また、両国に共通する伝統的な歴史思想により、事実とかけ離れた民族主義的な歴史観を暗に奨励する傾向もしばしば見られる。

  (同)

 

 『日本帝国の申し子』は研究書ですが、ある地主の家族が、繊維を中心とする朝鮮最初の財閥を築き上げるまでのプロセスが描かれており、民族資本家と総督府との関係を含め、リアルな朝鮮半島のあり方を知ることができる興味深い本です。


 さらに2002年から2010年にかけて、両国政府の肝いりで研究者による日韓共同歴史研究プロジェクトが行なわれました。

 

日韓歴史共同研究報告書(第1期) | 国際会議 | 事業内容 | 公益財団法人 日韓文化交流基金 (jkcf.or.jp)

 

日韓歴史共同研究報告書(第2期) | 国際会議 | 事業内容 | 公益財団法人 日韓文化交流基金 (jkcf.or.jp)

 

 研究報告には興味深いものもあり、それなりの意義はあったと思いますが、プロジェクトに参加した古田博司は別の場所で、韓国側研究者の態度について実証的とはいえない言動があったむねの報告をしています。

 

 前回は、呉善花と木村光彦の韓国の歴史教育・歴史認識への疑問について触れましたが、今回は、韓国とアメリカの研究者の著作からその実態をうかがわせる記述を拾いました。

 

 以上、韓国の歴史研究には民族主義的な偏りの傾向があるという証言が韓・米・日の研究者から複数得られました。李栄薫のグループが『反日種族主義』で主張した点について、多くの研究者が肯定しているのです。それは歴史教育を通じて、韓国民の歴史認識にゆがみをもたらしている可能性があると思われます。