たまたま視聴したフランス革命の頃の死刑執行人について。
BS101で放送されたダークサイドミステリー「サンソンの日記」
パリオリンピックが開催されているせいかフランスに関する番組の放送がありました。
画像お借りしました。
シャルル=アンリ・サンソン (1739年 - 1806)は、フランス革命期の死刑執行人で(ムッシュ・ド・パリ)を勤めたサンソン家の4代目当主。
ルイ16世やマリー・アントワネット、エベール、デムーラン、ダントン、ラヴォアジエ、ロベスピエール、サン=ジュスト、クートン、シャルロット・コルデーといった著名人の処刑のほとんどに関わった。
信心深く、自らを厳しく律する人物だったと言われている。
また、当時としては異例なほど身分の分け隔てなく、どの身分にも偏見を抱かない平等論者だったといわれるが、これは死刑執行人が社会の最底辺であり最も偏見を受けながら貴族並みの暮らしをしているという自身の立場によるところが大きいと言われている。
サンソンは死刑執行人という立場でありながら、熱心な死刑廃止論者だった。
何度も死刑廃止の嘆願書を出しているが実現することはなく、逆に人類史上2番目に多くの死刑を執行する結果になっている。
死刑制度が廃止になることが死刑執行人という職から自分が解放される唯一の方法であると考えていたと手記に書き残している。
皮肉にも彼自身は王党派であった。
ルイ16世を熱心に崇拝しており、自分が処刑するという結果になってしまったことを生涯悔いていた。
フランス革命当時はルイ16世のためにミサを捧げることは死刑になるほどの重罪でありながら、神父を匿って秘密ミサを上げていたという。
また、デュ・バリー夫人とは青年時代に恋人であった時期があるが、当時の王族関係者の例にもれず、サンソンの手で処刑された。
老年の夫人は他の受刑者達とは違い泣き叫び大声で命乞いをしたため、夫人を処刑することに処刑人と民衆は大いに狼狽したらしく
「みんなデュ・バリー夫人のように泣き叫び命乞いをすればよかったのだ。
そうすれば、人々も事の重大さに気付き、恐怖政治も早く終わっていたのではないだろうか」とサンソンは日誌に書き記している。
以上 サンソンについてウイキペディアより
代々死刑執行人の家に生まれ執行人でありながら死刑廃止論者というのも皮肉です。
フランス革命の最中ルイ16世マリーアントワネットの執行にもかかわったサンソン。
人としての罪深さも持ち合わせていたんだろうと察することができる。
ギロチンにかけられるって、想像するだけでも恐ろしい。