心の反射神経(自転車の正面衝突) | いぎーのブログ

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一年以上ぶりに、ブログを書くので、
その間にメール下さった方ごめんなさい。
有料会員でないので、メールが消えてしまいました。


さて、先日自転車で細い道を通行中に、
他の自転車と正面衝突してしまったので、ここに記録しておく。


細い上り坂の道を通行中の事。
そこはほぼ90度位に曲がる一本道で、カーブミラーが設置されている。
勿論、見ていた。

「あぁ、向こう側から自転車が来るなぁ」と思い、
こちらは左端に寄り、念の為緩めにブレーキもかけ、
上り坂なので、ほとんど停止するか位の徐行運転をしていた。
ペダルをこがずに、カラカラカラ~の状態。

相手の女性が曲がってきた。
うん、曲がってきたね。

すごい形相で・・・。
え?
え?
え???
何か大きな声で叫び始めた。
「ギャァアアアアアアアアアア!!!」

え?意味が分からない。
え、何?

と思っていると、思い切り前輪と前輪がぶつかった。
いやいや、おかしいでしょ。
こちら最初からほぼ停止してましたから。
あなたが叫び始めた時には完全停止してましたよ。
なぜ、進行方向左側に寄らないで、激突?

でも、彼女は叫んだんだ。

「危ないでしょ!!!」

っえ!?
え、何!?
私が悪いと?

ヤダヤダ・・・。野次馬が集まってきて、色々な事を言ってる。
まるで私が悪者扱い。

【おい、野次馬。お前ら衝突の瞬間を見てないでしょ!
そもそも何を言ってるんだ。チャリのおばちゃんは!】

って、今なら思うんだけれど、
その時の私は、ボー然として黙りこくってた。

でもね、こういう事って時々あるんですよねー。

~~~~~
前に、某知事さんにお茶出しをしてた時に、

意地の悪い秘書が私にお盆を渡す時に、
自分で茶碗を落としたのに、
「ちょっと!!!いぎーちゃん何してるの!?どうするの?割っちゃって!」
ってね。

勿論、その場で私は悪者でしたよ。
その場の状況把握が苦手という事はないのだけれど、
【すぐに口をついて言葉が出ないタイプ】の私は、
何も言葉を発せなかった。
~~~~~

と、話が逸れたけれども、
自転車の相手の女性は、まるで私が悪いかのように
暫くの間ギャンギャンと言っていた。
ん~?

私はすぐに腹が立たなくて、10分後とかね、帰宅後とかね
それ位になってからじゃないと、色々と【言葉】が思いつかない。
だから、怒った時には既に相手が居ない訳で、
後から後から
「あの時、あんな事を言い返せばよかったよ!!!」
と、自分自身にキレたりする事がある。

小さい頃からよく「いぎーちゃん、怒ってないから大丈夫」
みたいな状況があったのだけれど、本当は全然違う。
帰宅してから、ジワジワと地味に怒ってた。
陰湿にネチネチとは違うのだ。
心の反応・発語が追いついて無いだけなんだ。

私と似たタイプの方は、少ないかもしれないけれど、
きっと居るんではないでしょうかね・・・。

さて、自転車のおばちゃん。
私は最後まで言葉を発しなかったのだが、
本当は自分が悪いと自覚していたらしい。

いきなり
「ごめんなさい。私が悪かったです」と言ってその場を去って行った。

ザ・自己完結!!!(汗

野次馬が予想外に増えたのと、何も言い返せない私を見て、
逆に自分の発した言葉の罪悪感に耐え切れなかったんだろうな。
でも、もっとひどい方も居るだろうし、
私にとっては「たまたまラッキー(←これもおかしいかな」だったんだろうけれど。

そうそう。知事のお茶碗を割っちゃった時も。
周囲からは結局「いぎーちゃんは本当は割ってないんじゃないの」という結論になっていた。
はい。割ってませんよ。私は。

でも、口をついて言葉が出るタイプの方は、
きっと心にも反射神経のようなものがあって、
ささっと自分の気持ち(嘘を含む)を表現出来るんだなーって
少し羨ましい部分がある。

ただ、残念ながら私は家系的にもそんなタイプではないようだ。

色々経験しても、相変わらずすぐに言葉は出ないから、
きっと私には習得出来るものでもなさそうだし、
そんな自分自身とは、末永く付き合っていかなきゃだから、

何か大事な話をしたい時、仕事の時は、
必ずイメトレしながら要点メモをして、「言い忘れが無いように」している。
そうして自分をフォローしていかないと、後悔しちゃうから。

体の反射神経は割と良い方なんだけれどなー。
遺伝なのかしら。不思議。

でも、時々は「思っても口に出さなくて良かった」って事もあるから
きっと良い部分もあるのだろう。

正確には「思う頃には時間が経過してるから、口に出しても無駄な現状」
だけれど。

私はある事故の現場に居た事があり、
周囲が騒然としてパニックになった時に、
1人で地味~に止血に回っていた。
その方は結局亡くなってしまった。今でもその姿・光景は昨日の事のように浮かぶ。
帰宅してから自室で初めて「今日は何だか大変な事が起きた」と1人で泣いた。


心の反射神経のようなもの、きっとあるんだと思う。