仕事のことは、ずっと考えてた。

「娘が小学生になって、ほぼ毎日放デイを利用出来るようなったらそのタイミングで…」
と思ってた。
だけど入学して以降、毎朝の激しい登校渋りの対応などで、仕事のことを考える余裕がなかった。
ただの言い訳にしかすぎないけれど、本当にそうだった。
最近の娘は、朝スムーズに制服を着るようになり、以前みたいに暴れたりすることもなくなった。
付き添い登校で娘が私から離れる時は、
相変わらず泣いたりもするけれど、すぐに泣き止むことも分かってるし、
逆に笑顔で「行ってきますニコニコ」と言って手を振って校内に入っていける日もある。
そうした日々の中で、 
「子どもたちも放デイに行ってるし、仕事始めてみるのはどう?」
と声を掛けて頂いた気づき
その人は私が8年前に仕事を辞めて、
それから社会との繋がりがなくなったことで私自身が孤独感を感じてること、
夫から仕事をしていないことを言われるのがストレスだということも知っている。
私は夫から「仕事してないくせに」とか「仕事辞めて何年になるムカムカ?」と喧嘩した時に言われて、それが正直とてもストレスになっている。
それだけの理由で仕事をしたいと思っているわけではない。

 8年間のブランク

数年前、ずっと通院している精神科の医師から「あなたの場合、育児だけで大変すぎるから働くのはもう辞めなさい」
とドクターストップが掛かった。
(この時は介護の仕事ではなかった)
そして今は「外に出て少しでも、気分転換をしたり体を動かしてグッ
と言われている。それは子どもとの関わりの中や夫とのことで、ストレスがだいぶ溜まっているから真顔

昨日の娘ニヤリ



私は決して「仕事」というものを簡単に捉えているわけじゃないし、
むしろ、1日中家にいたら自然と子供のことばかり(ほぼネガティブなこと)考えてしまうから、私はその時間を少しでも減らしたい。
8年間のブランクがあるから、心配や不安はあるけれど、「体の感覚」というものはきっと染み付いていると思う。
最初から、がっつり、介護の仕事をするわけじゃないし、徐々に体の感覚を慣らしていく流れにはなっていくけど、
久しぶりに働くという不安な気持ちと、
「また仕事が出来る」というドキドキ感が入り混じっている。

仕事をすることになったきっかけの人


上にもチラッと書いたけど、「一緒に働いてみない?」と声をかけてくれたのは、息子が3歳の時、一番最初にお世話になった児童発達支援事業所の相談員さん。
今は他のところに新しく施設が出来て、そこで相談員として働いている。
その方は、私が介護福祉士として高齢者施設で働いていた時の姿を見て知っていたらしいキョロキョロ
(逆に私は覚えていない💦失礼ですみません)
それもあって「ぜひ一緒に働きたい」と言ってくれたのだと話してくれた。
これほど、ありがたいことはないと思ってる。

私が精神福祉保健手帳を持っていることも知ってるから「絶対、無理のない程度でねチョキ」と言ってくれている。
それだけでもだいぶ気持ちが違う気づき


働くということは「責任」もついてくる。
「週〇日だから」とか「数時間だから」ということは仕事をするで上では関係のないこと。
それは介護の仕事をしてた時から、ずっと感じている。
でもあまり気負いせず、やっていけたらと思っている。

「今の自分、今の育児に気持ちの余裕があるか?」と聞かれたら、決してそうではない。
夫は育児に非協力的だし、モラハラみたいな言動もあるし、毎日イライラしてる。
それを分かってて仕事をするのは、もしかしたら良くないのかもしれないけれど、
今は「日中何も考えずにいる時間がほしい」
ただそれだけ。

 仕事をしてなくても、やることは盛り沢山


夫には「お前は日中、自分だけの時間があるから、良いだろ」
みたいに言うけど、別に遊んでるわけじゃないし、家のことや子どもたちの療育関係のことで市役所に行ったり、療育センターに行ったり、 
最近は息子の通院で毎週受診にも行っている。
それに加え、子どもたちは放デイは週に1日は休みだから、学校が終わればすぐに迎えに行き、そのあとはどこかしらに出掛け、夕方に帰宅しているダッシュ
だから「どうせ暇なんだろ」みたいに言われると、すごく腹が立つ。
【自分の時間】はあるようでない。
子どもたちにも「ママ仕事してないじゃん」と言われることもストレスだし、色々ストレス真顔

 融通がきくかどうかが大事


「子どもたちに手が掛からなかったら、もっと早い段階で仕事が出来たのに」
と言う思いが、少なからず私の中にある。
療育センターに通ってたり、自分自身の精神科の通院(カウンセリングも)があるから、
正直仕事が出来る曜日が限られてて、結局働いても長続きしなかった。
でも今は、融通もきかせてくれて、「働ける曜日に出勤してもらえたらそれで良いから」と言ってもらえて、それがなければやっぱり働くことは難しいのかな?と思ったりもしている。