タイトル通りです。
不快に思われそうな方はここで閉じてください。
不快だと思いそうなら、下へは進まないでくだい。
「公開処刑」という言葉は、私が「自閉症スペクトラ厶」という特性を持った娘を持ち、色んな園行事を経て、「周りと違うこと」を受け入れたいけど、なかなか受け入れない、「何でうちの子だけできないんだろう」と葛藤している「感情の表現」です。

注意「娘さん頑張っているんだから、公開処刑なんて言わないでください」
というコメントがありますが、ここは私がおもっていることを吐き出す場所です。
(コメントは載せていません)
「娘さんが頑張ったんならそれで良い」
そこまで思える気持ちの余裕なんてないし、時間を経てそんな風に思える時もあるけれど、
これはあくまで私の気持ちや感情なので、あしからず。
「自閉症育児」は当事者にしか分からないことが少なからずあると思っています。


今日行われた「親子ふれあいお茶会」散々だった。
他の親御さんもいるし、厳かだし「いつもと違う環境」だから、別に最初から「成長した娘を見れる」なんて思っていなかった真顔
だから「やっぱこうなるよね」と思ったけど、私の想像をはるかに越え、何だか悲しい気持ちというか複雑な気持ちになった。


「最初から最後までしっかり座れるようになったんですよ」
と先生から聞いていたけど、1分足りとも正座も出来ず、
「今ではどんなお茶菓子も食べれるようになったんですよ」
と聞いていたけど、片手で持っていた皿からお茶菓子を落としてまい、食べる姿も見れず…
「お茶も最初は全く飲めなかったんですけど、今ではしっかり飲めるようになったんですよ」
と聞いていたけど、「にが〜いびっくりマーク」と一人だけ大きな声で喋りだし、結局飲めず…


お茶会後に撮った1枚。


「この時間はいったい何だったの?」
と思ってしまった。
「本当に成長したので、その姿をお見せできたら良いなと思っていますニコニコ
と先生は言ってくれたけど、すぐに姿勢を崩し、恥ずかしがって何かと私の背中に隠れる娘の姿を見て、
「何一つ成長した姿なんて見れてないよ」 
と複雑な気持ちになった。
そんな私の様子を察したのか、担任の先生が
「しっかり座れるようになったんですよニコニコ
ただ、今日はお母さんがいるから甘えたかったんですかね?」
って言ってくれたけど、それも何だか釈然としなかった。
周りの子達は静かに座り、静かにお茶菓子を食べ、静かにお抹茶を飲み、そんな中、娘だけ明らかに違って、
今更比較することじゃないし、「娘は娘なんだ」って思うようにしてるけど、
【周りと同じように】
それが求められるこの現実社会ではやっぱり残酷だと思ってしまう。
だから「親子ふれあいお茶会」なんて行きたくなかったんだよ。
夫に行ってもらうようにお願いもしたけど、娘が頑なに「ママが良いびっくりマーク」と言い、渋々行ったダッシュ
そもそも、その気持ちがダメだったのかな…

「娘さん自身が楽しんでいたら、親としては嬉しいもの」
確かにそうかもしれない。
だけど、「娘が楽しいと思っているかどうか」なんて娘にしか分からないし、笑顔でその場にいるからと言って、「楽しんでいる」そうとは限らないと思う。

私は「自閉症スペクトラムの娘」を持つ親として、ここに自分の気持ちを綴っている。 


【親御さんに子供の成長した姿を見せたい】
先生方がそんな風に思うことはごく自然なことだと思うけど、
私はやっぱり園の行事は嫌い。  
行事があるたびに「うちの子だけ周りと違う」そのことを痛感させられるし、「うんうん、成長したね拍手」といった感動の気持ちも涙もない。
「何ごともなくただ無事にこの時間が終わってほしい」ただ、それだけ。 
園の行事が近づくたびに娘の情緒不安定が更に情緒不安定になり、本当に「こんな行事なくなれば良いのにムキー」と思ったことも沢山ある。
運動会では勝ち負けにこだわり、練習の時から連絡帳には
「今日は負けたので、悔し泣きをしました。」
「今日は勝ったので、最後までやりきりました」
そんな内容ばかり綴られて気持ちが沈んでばかりだった。


あとは卒園式を残すのみ。
早く終わってほしい。
ただそれだけ。