息子を学校に送り届けてから、車の道中で大好きな人たちのある曲を聴いた。
その曲を聴きながら、カウントダウンライブでの出来事を鮮明に思い出した。
TERUさんが声が出なくなってしまって、それでも「この会場にいるみんなに届けたい」そんな気持ちが痛いほど伝わってくる空間だったし、TERUさんの代わりに会場にいるファンのみんなと歌ったこともあった
私は1999年に幕張であったカウントライヴを皮切りに、カウントダウンラインがある年は毎回参戦してた。
【大好きな人たちやファンの人たちと一緒に新しい年を迎える】
本当に幸せな時間だった
行き帰りの特急列車は、
(当時は北陸新幹線は開通していない)
片道7時間ほど掛かり、途中で列車のトラブルがあって、帰りはなかなか家まで辿り着けなかった時もあったけど、
それでも行きはウキウキしてるし、帰りは幸せの余韻に浸ってるから、そんな時間も苦痛じゃなかった
曲を聞いていて、何だかブログに綴りたくなったのですみません💦
震災以降、私は以前より増してGLAYを求めるようになった。
あの大きな地震の中で、亡くなられた方々、そして安否不明の方も沢山いる。
その中で私が今こうやって生きている意味を探している。
生きているだけで十分。
確かにそうだけど、生きているんだったらそこに何か意味を見つけたい。
「GLAYを諦めないで」
とメンバーが言った富山県でのLIVE。
私は震災以降、情緒不安定な自閉症育児に心が折れ、「何でこんなことになったんだろう」とどこにもぶつけられない感情を抱いている。
今までになかったことを子供たちはやりたがり、更に家の中は慌ただしくなり、険悪な時間が増えた。
今朝も急に「お風呂に入るの」
と言い出し、起床後にお風呂に入った娘。
「夕方帰ってきたら一緒に入ろう?」と言っても「あ〜」と言い怒る娘。
私はただ無言でお風呂の準備に取り掛かり、
娘が納得するまでお風呂に入れさせた。
そして機嫌よく保育園に出発して行った。
娘のことで我慢を強いられた息子には、学校の玄関でハグをして送り出した。
こんな日常を支えてくれているのはまぎれもない大切な人たちの存在。
震災にあったけど私はGLAYを諦めたくない。
「6月のライヴのチケが当たりますように」
と願わずにはいられない。
支離滅裂な文章ですみません