元旦の16時過ぎに震度7の地震が起き、
家の中はぐちゃぐちゃ。
断水もずっと続いたけれど、19時頃から徐々に水が出るようになった。だけど、安心はまだ出来ない
水のありがたみを痛感。
ガソリンも足りず、スタンドに行くと長蛇の車の列…どこのガソスタにも常に40台程の車が列をなしている。
コンビニも閉まっている。
ドラッグストアに行くも水も食べ物やも足りない。
道路もあちこちで陥没。
激しい揺れを物語っている。
何度も繰り返し起きる震度4や5度の地震。
「ゴォー」という地響きのあとに地震が来るあの感覚。
1分以上続いた横揺れと、大きい揺れでいつ建物が崩れ落ちるか分からないあの恐怖心は、
本当に
【死ぬかもしれない】
そう思わされるほどだった。
今も震度4程の地震が頻発し、またいつ地震が来るか分からない恐怖と不安で、身も心も休まらない。
ついでに言うなら息子と娘の対応に、私は盛大にキャパオーバー
一昨日の震度7の地震が来た時は「津波来るの?」「寝てる時に地震来たらどうするの?」と息子は大パニックになり、
テレビの「つなみにげて」の文字見て、「どうするの?」と常にパニック。
娘は家の中がガラスなど割れていたり、ぐちゃぐちゃになっている様子を見て、
「おうち怖い」
「避難所に行く!」
と言って家と避難所を夫と行ったり来たりを繰り返している。
息子は頑なに「僕は避難所には行かない」
と言い張り、夫と娘、息子と私で別行動💨
幸い停電にはなっていないから、家で過ごせるけれど、いつ避難所に行けるように準備はしておいた。
私の住む地域では障害があっても、関係なしみんな同じところで避難している。
娘が今までに何度か行ったことがある所が避難所だったから、それが救いだったのかもしれない。
災害救助隊の方々に敬意
昨日から、愛知県や群馬県、大阪など、何十台と自衛隊の災害救助隊や消防車にレスキュー車など続々と現地に向かっていて、本当に頭が下がる思いでいる。
家の前の通りを走っているのを見て、
息子に
「みんな遠い所から助けに来てくれたんだよ。ありがたいね」
と手を繋なぎながら話した。
息子にも【感謝の気持ち】が伝わってくれたら良いなと思った
地震でこんなに怖い思いをしたのは人生で初めてだった。
当たり前の生活が、一瞬で奪われ、賑わうはずだった正月は一変した。
地震は怖い。
子供たちのトラウマにもなりかねない。
私自身も被災したけれど、
近くにいながらも何もできない自分が歯がゆくてたまらない。
テレビや新聞で見る景色が私の知っている街並みではなくなっていて、
【こんな悲惨なことある?】【みんなどうやって過ごせば良いの?】
と思わずにはいられない。