以下綴るのは、昨日娘が療育センターでWISC検査をし、そのあとの私の心境です。

追記したいことがあったので、更新してます。


 

 



社会生活能力検査の紙を記入して、別室で発達検査をしている娘の帰りを待った。
1時間ほどして機嫌よく戻ってきた娘ウインク
担当してくれた心理士の先生から「よく頑張っていましたよ拍手」と言われた。
だけど私はその言葉に嬉しさは感じなかった真顔
(そんな風に思ってすみません😖)

現在小2の息子も5歳の時にWISCを受けて、今の先生のように「よく頑張りましたよ拍手」と言われた。(現在は特別支援学級の知的障害クラスに在籍してます)
私はその時、純粋に「頑張ったんなら、結果も大丈夫!」と希望を持った。だけどその1ヶ月後に、児童精神科の担当医師から聞かされたのは、【先日のWISCとお母さんからの普段の様子などの結果から、知的障害を伴う自閉症スペクトラムですね】という事実悲しい
IQの数値を見て、一瞬目の前が真っ暗になったのを今でも覚えている。

そんなこともあって「娘さん、よく頑張りましたよ」と言われても純粋に喜べなかった。
娘が戻ってきて、私が記入した「生活能力検査の紙」を心理士さんに見せた。
◯✕しか書けない為、その判断がしづらく、
「これは少し出来るかな」
「保育園では出来てるしなぁ…」
と思い、私は◯を付けた。
(△の存在は元々なくて、◯✕で書くシステムになっています)
その箇所に関して心理士さんに「判断しづらくて…」と話した所、その状況の場面など細かく話しを聞かれ、
【普段家にいる様子や、手の器用さがどうかなので、これは◯ではなくて✕になりますね】と言われ、私が書いた◯は一瞬で✕に変わった無気力
修正された箇所が4つ程足され、5歳の記入欄は9割が✕になった真顔
「身辺自立が出来てない」
「手先の不器用さが目立つ」
私はそう思った。
そして次に思ったことは「娘は特別支援学級では難しいかもしれない」ということ…
身辺自立が出来ていないのに、特別支援学級に入った所で困るのは娘自身…
そして先生も対応に困るかもしれないネガティブ

私は勉強云々よりも娘がこの先、社会生活能力など「自分の力で少しでも生きやすくなるようにすること」の方が先決だと思ったし、そのことを踏まえて、
【特別支援学校も視野に入れなければいけない】
率直にそう感じた。

それはもちろんWISCの結果が出てみないと分からないけれど、私自身親の気持ちの覚悟も必要だと思っている。

今まで周りに、
「〇〇ちゃんは出来ることが多いから、通常学級でも全然大丈夫なんじゃないですか?」
「特別支援学級にいれたらもったいないですよ」
と外部の人に散々言われて来た。
「気にするな」って言われたこともあるけど、毎日癇癪を起こし、大暴れをする娘を見てとてもじゃないけど、通常学級に入れることなんて考えられなかった真顔
周りは家での状況を知らないから何とでも言えるんだと思うし、娘は「家ではない場所」で頑張るから。
それは私が一番良く知っている。そのことに惑わされてはいけないタラー

「だいたいのお子さんは、保育園や学校で頑張るので、家で暴れるたりすることは普通ですよ。だからお母さん、そんなに深く考えなくても大丈夫ですってOK
なんて言われ、何だかいつもモヤモヤしてた真顔

「どの子供も外で頑張る分、家では暴れる」
それをみんなひとくくりにするのは違うんじゃないかなって、私はそう思っている凝視
確かに子供はみんなそうかもしれないけれど、【自閉症の特性を持ち合わせている】が故に、そうなってしまう子だっていると思うし、
「子供はみんなそうだから😄」
その一言に私はいつも苦しんできた。


「お母さん、そんなに気にしなくて大丈夫ですよ、学校に入るまでは出来るようになりますからおいで
そんな言葉、私は信じていない。
かつて、その言葉を信じて
【いつか出来るようになるかもしれない】
そう思った時もあった。
だけど現状は何も変わらず、年齢が上がるに連れて、「周りの子と違う」それが今ではハッキリと浮き彫りになったガーン
そんな思いはもうしたくないし、それは私の勝手な思いなのかもしれない💦
明るい希望を持ちたいし、悲観的な思いだけを持ちたくない、
そんな思いだって当然あるけれど、それだけでは【現実と向き合う】ことなんて出来ない。


現実から逃げちゃいけないし、目を逸らしてはいけない。
今、目の前にいる娘と向き合う。
それがこれからに繋がるスター


先日の教育相談に、昨日のWISC検査。
色々ありすぎて、気持ちの浄化が出来ず、車の中でGLAYのDVDを観ながら、散々泣いた。
そうでもしないと、自分がどうにかなりそうだった。

やっぱり私はいつもGLAYに助けられている。