自閉症のある保育園年長の娘。
現在、平日は週1、土曜日と祝日は一日利用
先日、児童発達支援のモニタリングで、
「〇〇ちゃん、賢いのに特別支援学級考えておられるんですか?」
「普通学級に入れないと勿体ないですよ」
と言われて、何だか私の中で何だかモヤモヤした。
【賢いから、普通学級に入れないと勿体ない?】
どういう意味?
賢いって、どういった場面を見て、そう思ったんだろうか
私は娘は自閉症の特性がバリバリあると感じているし、集団の中で遊ぶ時にルールを守ることが苦手だったり、理解できていない部分がある💨
ADHDの要素もあるから、常に動いているし、喋ってるし、感情のコントロールは難しいし、会話は成り立たないことが多い…
この状態で通常級に入れるなんて、私は考えていない。
【生きていく上での賢さ】
はあるかもしれない。だけど学校生活を送る上で、それだけでは難しい
5歳だけど、精神年齢は3歳ですよ?
この状態で普通学級に入れて、「みんなと一緒」「周りと同じスピード」を求められても、娘には厳しいような気がしている
(ちなみに最初に普通学級に入れて、勉強に追いつけなくなったり、本人の困り感が出てきたら、支援学級に移る…という考えは私にはないです
それが一番本人にとってもしんどいだろうし、娘の自己肯定感を下げてしまうような気がしています。また普通学級から支援学級に移ることも可能ですが、私自身それは望んでいません)
児童発達支援に行けば、娘は家と違った表情を見せている。
それは娘の中で家とそうでない場所での自分を、しっかり使い分けているし、きっと「出来る自分」を見せたいからだと思う
だからそういった部分で児発の人は「賢い」と言っているようだったけど、学校では勉強も始まるし、何だか腑に落ちない
【娘を支援学級に入れようとしている私】は間違った考え方をしているんだろうか?
こうやって書くと、児童発達支援に対して不満を言っているようだけど、
娘の出来ることを褒めてくれたり、入浴支援をしてくれていることにはとても感謝している