あれは確か2005年の夏過ぎ辺りだったと思います。

当時在籍していた名古屋グランパスとのレンタル移籍が満了すると伝えられ、さてこの先どうしたものか?と将来について不安を抱いていたのが23歳の頃。

そんな時に声をかけてくださったのが、
川崎フロンターレでした。

関西育ちであるが故に、
関東への勝手な恐怖心と土地勘の無い場所への不安感を抱いており、移籍に関して前向きに考えていなかったのを今でも鮮明に覚えています。

そして、
クラブハウスでの2006年シーズン新加入選手の挨拶の時に、その予想が現実のものとなってしまった事件があります。

当時の川崎フロンターレに顔見知りの選手はたったの1人しかおらず、他の皆さんは初めまして状態。

なので、大阪人だし最初の掴みは大事!
と何故か自分に変なプレッシャーを与えており、いかに皆んなを笑わすのか?
しか考えていませんでした。

1人また1人と無難な挨拶が終わっていき、遂に僕の順番が回ってきました。

簡単な自己紹介をした後、
満を持しての決め台詞の登場。
「等々力のピッチではプレーでお客さんを沸かせるよう頑張りますが、ここクラブハウスではお笑いで皆さんを沸かせるよう頑張ります!!!」

と挨拶をしました。
個人的には上手い事言えたな!
という満足感で一杯だったのでしたが、
どうやら川崎フロンターレの初日から選手やスタッフさんを全く沸かせられなかったみたいで、
誰一人として笑ってくれませんでした…。
くすりと笑う人すら皆無で、皆んなな頭の上に
???
のオンパレード。

あの完全にスベってしまった雰囲気を、一生忘れる事が出来ません。笑
その時に僕は、
とんでもない場所に来てしまった!
これが関東の恐ろしさか!?
と自分のお笑いレベルの低さという原因から目を逸らし、
【関東だから】という大阪人にとって便利なフレーズで自分を納得させていました。笑

これが僕の川崎フロンターレでの選手生活の始まりだったので、いつまでお世話になるか全くの未知数でした。
運が良いことに、こんな井川があれよあれよと12年間在籍出来てお世話になれたのも、偏に川崎フロンターレさんの懐の深さや大きさによるものです。

僕にとっては川崎フロンターレは第2の故郷。
いつか、
いや近い将来川崎フロンターレに恩返しが出来るよう日々精進して参ります。

今後ともよろしくお願い致します。


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Iga