2017年12月初旬、
川崎フロンターレのJリーグ初優勝の祝賀会が、渋谷のセルリアンタワーホテルで行われました。

その控え室で、香港ペガサスからの正式なオファーが届いた旨の連絡を受け取りました。

川崎フロンターレの一員として活動する日々が刻一刻と少なくなっていく中で、寂しが心の大半を占める一方、自分の夢であった海外移籍の実現が現実味を帯び始め、新たなチャレンジに対してワクワクしている自分がいるのも事実。

何とも複雑な心境だったのを、今でも鮮明に記憶しています。

正式なレターが届いているので、物事はスムーズに動いていくとその当時は考えていました。

詳細を詰めるためのやり取りを数回した後、香港ペガサス側からの連絡が全く届かなくなりました。

正式なオファーを提示されてから約2週間、何の音沙汰もありませんでした。

この2週間がどれほど長く感じたことか…
川崎フロンターレのオファーは拒否してしまっていて、香港でプレーをする為に時間を費やしてきたので他の選択肢は全く考えていませんでした。

何回か香港ペガサスに連絡を入れた後、やっと帰ってきた返答は、
「オーナーがDFではなく、FWが欲しいと言っているので今回は申し訳ない。」
とのことでした。

僕は一瞬、何を言われているのかを全く理解することが出来ませんでした。
正式なレターを提示してきたのに、オーナーの気分次第でこんなにも簡単に物事が動いてしまうなんて。

ニュース等でアジアのサッカー事情の情報を見聞きはしていましたが、まさか自分の身に降り注ぐとは全くの想定外でした。

オーナーの決定事項なので、今からその決定が覆ることは、ほぼゼロに近い。
どの様に対処をすればいいのか全くわからず、
この事実を親しい友人に相談をしました。

そして辿り着いた結論は…
香港に行き直談判をしに行くこと。
しかも、相談した二日後に香港へ飛ぶというプラン。
その内容は、朝早くの便で香港へ発ち昼過ぎに到着し、夜中の便で日本に帰国するという弾丸スケジュール。
香港滞在記時間、約10時間程。

香港ペガサスのオーナーには会う事は出来なかったのですが、僕の獲得を望んでいた監督とランチのアポを取っていました。
ランチの前にペガサスの練習を見学出来るということで、空港から直接練習場へと足を運びました。

香港のサッカー事情を全く把握してなかった僕は、練習場に足を運び驚きの光景を目にしました。
まず大前提として、当時の僕の頭の中は
"Jリーグを基準"
として物事を理解していました。
ここがまず大きなポイントです。

例えがあっているのかはわかりませんが、
要するに井の中の蛙状態です。
日本以外のサッカー環境の情報を持ち合わせていないので、一歩日本を飛び出してみるとそれまで見たことのない世界が広がっているわけです。

なので、
海外に飛び立つことは、とても価値がある事だと僕は考えています。

僕が見た光景は、
・練習場が人工芝
・それが公共の施設である
・同じリーグに所属するチームが、
    次の練習の為に待機をしている
→補足を付け加えます。
(香港プレミアリーグで自前の練習場を確保しているチームは傑志のみで、他のチームは練習場を転々とします。しかも、公共の施設をブッキングしており予約出来る時間は、1時間30分と決まっています。
なので、例えばAというチームが9:00-10:30の練習スケジュールで、Bというチームが10:30-12:00という練習スケジュールは、香港では日常茶飯事です。
したがって、非公開練習なんて不可能で、次節対戦する相手の練習を見放題です。笑)

その光景を目にした時の、衝撃は今でも忘れません。
2006年に川崎フロンターレに移籍した時、初めて旧クラブハウスを見た時以上の衝撃を受けました…。

その練習場で次の練習を待っているチームに、
ソン・ミンチョル元選手と偶然にも出会いました。
そして、ミンチョルが僕の事を知っていてくれて、彼から積極的に声をかけてくれました。

この奇跡の出会いが、
今後僕の香港移籍実現に繋がるとは、その時は想像だにしませんでした。




〈中編 2に続く〉