僕が香港に来るキッカケとなったのが、
「行動力」。

今回はこの事について書きたいと思います。

2017年の夏に川崎フロンターレから戦力外通告を受けてから、僕に与えられた選択肢は2つ。

1)川崎フロンターレに残る。
2)現役を続ける。

この2つでした。
現役生活での僕の夢は、
「海外でサッカーし、家族で生活をする」
ことでした。
仮に1)を選択した場合、その夢は二度と叶うことはありません。
今後のキャリアについて悩み考えていた時、
「一度きりの人生、後悔しない選択とは?」
という問いを自分に投げかけました。
自分は何をしたいのか?
どうしたいのか??
その事を考えている時、
名古屋グランパス在籍時代の事を思い出しました。

U18日本代表から名古屋・川崎でのチームメイトである川島永嗣は、海外でプレーするために入念な準備と努力をしていました。
同世代ということもあり、彼と多くの時間を共に過ごし、彼のひたむきな努力を間近で見続けてきました。

海外生活に備えて、英会話教室に通い練習後も黙々と筋トレや個別トレーニングに励んでいました。
同じ英会話教室に通っていましたが、明確な目標がある彼と、何となく将来の為に勉強する僕とでは、当然英語の上達には差が生まれます。

そんな彼の努力が実を結び、皆さんがご存知の川島永嗣が誕生するわけです。
有言実行するチームメイトが側にいて、夢を叶えチャレンジをしている選手をよそ目に、僕は自分には到底出来ない…。
と、自分で自分の限界の壁を作っていました。

チームメイトの努力する姿を間近で見てきて、
2017年35歳になった自分に問いかけました。

「このままでいいのか??ここで行動を起こさなければ、二度と自分の夢を掴み取ることは出来ないぞ…」。
と。

心の中で引っかかっていた心残りを払拭するためには、行動をするしかない。
そう決断し、川崎フロンターレからの提案をお断りさせていただきました。

そう決めたので後は行動に移すのみ。
・Jリーグではプレーをしない。
・海外でプレーをする。
・香港でプレーをする。

という事を、秋が訪れる前には決めていました。
なので、
香港に移籍したのは偶然ではなく、
最初から香港に行く事を前提に動いていました。
実は個人的に、
2013年に初めて家族旅行で香港を訪れてから、2、3回程プライベートで香港を訪れていました。
そこで香港の魅力に惹かれていました。

そして、2017年の3月にACLで香港を訪れたのが最終的な後押しになりました。
・今の自分の年齢でプレーが出来て、
    受け入れてくれそうな都市。
・英語を共通言語とし、
   子供達にとっても素晴らしい環境になる。
・友人もいる。
という理由から、香港しかない。
そう心に決めて、香港でプレーする為の準備に取り掛かりました。

ただ、
香港でプレーをしたくても、香港サッカーに直接繋がるコネクションは全く持ち合わせていませんでした。
そこで、香港に住む友人に自分の想いを伝えると
、数日後に中村祐人選手を紹介していただきました。

彼は香港で7年間プレーをしていて、一番香港サッカー界に精通している人物でした。
なので彼を通じて、香港プレミアリーグのチームに僕の存在をアピールしていただきました。

その甲斐あって、香港ペガサスというチームから正式なオファーを12月頭に受け取りました。

しかし、ここからが波乱の幕開け。
すんなり事が進むと思いきや、
人生そうそう上手くいくことはない。
という教訓をこの後受けることになります。



〈前編終了、中編へ続く〉

Iga