ちょっと長い青春グラフティかもしれない。
俺が‘いがっち’と呼ばれてた頃の話。もう30年も前なのだから笑える。
こう見えて俺は進学校に通っていた。
といっても田舎の進学校だからたかがしれてる。たまにいるだろう?やんちゃしてるのにちょっと頭がいい、いけ好かない奴。それが俺。
高校2年のクラスには、辻と西岡がいた。
辻は休み時間に髪をかき上げながら、三島由紀夫を読んでいるような男で、西岡は音楽好きのパンクだった。俺はボクシングばかりやっていた。
辻とは処女作『ブラジリアン バーリトゥード』を出版した頃に、偶然東京で10数年ぶりに出会う。俺が懇意にしていた映画監督の手伝いをしていたのが、辻の当時の嫁さんだった。当時の(笑)
辻は高校時代から優秀な男で映画部だったこともあり、日本大学芸術学部映画学科(?)に進み、再会した頃はテレビのドキュメンタリーを撮っていた。やっぱりその道を行ってるんだと納得がいったことをよく覚えている。映画監督になりたいと話してたからね。高校時代。
逆に辻は驚いていた。俺がカメラマンになっていたことに。勉強もまったくせずボクシングばかりやって、アートとか表現とかとはてんで無縁な体育会系の奴だったので。
辻とはともに東京在住だし、動画とスチールの違いはあれど、同じカメラマンということもあって、それ以来たまにあって食事したりしていた。
2012年に2冊目の本『山をはしる』を出版し、その刊行イベントとして何人かとトークショーをした。今をときめくカルぺディエムの代表である石川さんとも、当時彼が率いていたトライフォース青山でトークした。石川さんは写真が大好きな柔術家なので、もってこいだと思いお願いしたのだ。そこに見たことがある奴が座っていた。もう40男だから、随分おじさんにはなっていたけどすぐに分かった。西岡が座っていた。西岡とは20数年ぶり。その日は辻も家族で来てくれていた。今の奥さんと。もうええってかw
話を聞くと、なんと西岡もカメラマンになっていた。めっちゃ驚いたけど、向こうも同じぐらい驚いたらしい。俺がカメラマンだと知った時は。
辻はその後、奥さんと一緒に「ハイクロス シネマトグラフィー」という映像プロダクションを立ち上げ、キャメラマン兼プロデューサーとして活躍している。「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」や「キャタピラー」など、若松孝二監督の晩年の映画はすべて辻が撮影監督を務めている。
辻が企画プロデュースしたWOWOWのドラマ「かなたの子」(坂井真紀、井浦新出演)では、富士山で一週間ともに撮影した。
西岡は音楽好きがこうじて、主にミュージシャンを撮るカメラマンとなった。長渕剛さんに信頼されて長らく撮影している。長渕さんが、2015年に富士山麓で行ったあの伝説の10万人ライブにも、当然西岡は参加していて、夜通し行う10万人ライブ、とても一人では撮影しきれないと、俺のことも推薦してくれた。ちなみにあのライブは動画カメラマン30人、スチールカメラマン4人で撮影した。
とまあ、ふたりとは一緒に仕事もしているし、西岡は今年のCP+のトークも聞きに来てくれた。最近はみな忙しいこともあり、そんなに会っていないが、同級生が同じ仕事をしてるのも悪くない。
あの1987年、和歌山県立向陽高校2Fだか2Gだかのクラス約40人、男子20人のうちの3名がカメラマンになっているのだから、すごい確率である。しかも東京から遠く和歌山県の、芸術系でもなんでもない普通科の高校から。カメラマンになろうと申し合わせたわけでもないのに。
で、ずいぶん前置きが長くなってしまったが、今日の主役は別にいる。
2Fだか2Gだかのクラスには、個性的な女子が一人いた。
俺は和歌山県の和歌山市出身である。和歌山市は県庁所在地だから、田舎とはいえ、ど田舎ではない。
とはいっても、和歌山市の端っこにいけば、そこは半島、山なり海なりにぶち当たる。俺の実家は山側にある。
彼女の家は、和歌山市の辺境、加太にあった。目の前に海が広がる、鯛とシラスで有名な港町である。市内の中心にある向陽高校まではずいぶん離れている。加太出身だというだけでもパンチがあるのに、その子は明るく気さくで、男女問わず人気があった。テニス部だったし(関係ないか)。後に聞くと、結構気遣いをしていてたので人付き合いは面倒臭かったとのこと。全然そうは見えず、自然な振る舞いに見えていたから大したもんである(笑)
彼女のことを好きだった男子もいたはずである。俺がそうだとは言わない。もしかしたら、辻か西岡かも。
彼女は高校3年の春にアメリカに留学し、そのまま帰って来ず、向陽高校は卒業しなかった。
時は流れ、世をフェイスブックブームが襲う。7、8年前だろうか。
仕事柄、当然俺も利用していた。次々と中学や高校の地元の同級生達と繋がっていき、さとぴとも繋がる。井上さとこ、だから‘さとぴ’。あるいは‘浜っ子’。彼女のニックネームである。俺は一度もそう呼んだことはない(笑)。高校時代、唯一話していた女子。かっこつけてた俺は中高の6年間、ほとんど女子とは話していない。まじで井上さとこ、ただひとりだと思う。今じゃあ考えられない(笑)
25年ぶりぐらいにフェイスブックで消息を知った彼女はまだアメリカにいた。カッコええなー。プロフィール写真もなんか、西海岸の夕陽を浴びつつのーみたいな、サングラスをかけた横顔のオレンジ色がかった写真だったよ。
それで彼女が日本に帰国した際に、俺、辻、西岡と4人で会った。ちなみに彼女はデザイナーになっていた。2013年に奈良県の吉野にある世界文化遺産 金峯山寺でやった写真展にも来てくれた。
それから1、2年の間に、彼女が日本に帰国した際に、大阪や東京で何回かみんなで食事をしたが、やはり緩やかに疎遠になっていった。まあ普段いるのがアメリカやからねー。
先日の4月7日、立川の立飛アリーナで行われたQUINTETに出場した山本美憂さんをスポンサードしていたのはサンクロレラという会社だった。スタッフにも水を提供してくれていた。会場に来ていたサンクロレラの方々に俺も挨拶させていただいた。

その際、急にふと思い出した。
「サンクロレラって本社は京都ですか?」
「そうです」
「アメリカの西海岸にもあります?」
「サンノゼにアメリカ本社があります」
「あれ?たぶん同級生がたしかサンクロレラで、西海岸にいるんだけど、デザインをやっているから、もしかしたらこの水のロゴとかもやったかもしれない」
まあでも大きな会社だろうから、デザイナーもいっぱいいるだろうし、分かりませんよね?という話でその場は終わった。
本日アメリカの彼女からインスタにメッセージがきた。
「うちの会社、スポンサーしてた」と。
やっぱりそうか。
「ちなみに。ぺットボトルの水のロゴ、デザインした?」
「そうだよ。まあアイデアは社長だけど」
「すげえ!」
という話。世界は繋がっている。
思ったより大作になってしまった(笑)。でも辻と西岡は喜ぶに違いない。またそのうちみんなで会おう!