本日発売、写真雑誌「フォトコン」6月号において、『高尾の日々』と称して写真を7ページ掲載しています。

以下は今回の掲載に寄せた文章です。



私にとっての「高尾の日々」とは、文字どおり日々の記録である。わざわざ何かを撮りに出かけるという行為の元に成り立っている写真群ではなく、普段暮らしている中で感じた刹那にシャッターを押しているもの。

写真は強い何か、マックスに向かいがちだが、今回はあまりそういうものではない、極力ありふれた光景を主眼に選んである。とはいっても私はプロだし、発表するとなればなんでもいいという訳にはいかない。タイトルに“高尾”と入れた以上、ある程度高尾らしさも感じられ、かつ誰にでも撮れるなんてことないもので編んである。

「高尾の日々」と題して掲載するのは今回で2度目。

2017年に一年間『井賀論。』と題して連載していた時にも書いたが、写真には主にふたつの特性がある。表現と記録。こうも言い換えられるだろう。アートとジャーナリズ ム。このふたつは別のもののようであって密接に絡みあっている。

写真は被写体を必要とする表現である。他者を必要とする。であるが故に、それは何を撮っても自ずと社会性を帯びる。撮影者本人が望もうと望まざるとに関わらず。

一方で、ジャーナリズムという観点からいうと、撮ったものはひとりでも多くの方に見てもらいたい。でないと意味がない。そのためには撮り方や見せ方に苦心しなければならない。つまり表現方法を考えなければならない。

今回の私の掲載でいえば、高尾らしさを入れ、見開きに映えるカットを考え、かつ何かを提示しつつも、全体を通して破綻のないものにすること。それにはもちろんこの原稿も含まれている。騙されるな。そもそもがこの原稿ありきの写真選びかもしれないし。

何が言いたいかというと、わずか7ページでもすごく考えているよという話である。写真は撮って終わりじゃない。本気で写真と向き合いたいのなら、表面的なことだけじゃな く、もっと疑い、考えて、深く掘り下げていってほしい。写真は誰にでもできる表現であ るが故に難しい。最終的に『井賀論。』みたくなっちゃった。



掲載されている写真は全部で12枚。この文章を読んで興味をもった方はぜひお手にとって見てみてください。

ちょっと長い青春グラフティかもしれない。

 

俺が‘いがっち’と呼ばれてた頃の話。もう30年も前なのだから笑える。

 

こう見えて俺は進学校に通っていた。

といっても田舎の進学校だからたかがしれてる。たまにいるだろう?やんちゃしてるのにちょっと頭がいい、いけ好かない奴。それが俺。

 

高校2年のクラスには、辻と西岡がいた。

辻は休み時間に髪をかき上げながら、三島由紀夫を読んでいるような男で、西岡は音楽好きのパンクだった。俺はボクシングばかりやっていた。

 

辻とは処女作『ブラジリアン バーリトゥード』を出版した頃に、偶然東京で10数年ぶりに出会う。俺が懇意にしていた映画監督の手伝いをしていたのが、辻の当時の嫁さんだった。当時の(笑)

 

辻は高校時代から優秀な男で映画部だったこともあり、日本大学芸術学部映画学科(?)に進み、再会した頃はテレビのドキュメンタリーを撮っていた。やっぱりその道を行ってるんだと納得がいったことをよく覚えている。映画監督になりたいと話してたからね。高校時代。

 

逆に辻は驚いていた。俺がカメラマンになっていたことに。勉強もまったくせずボクシングばかりやって、アートとか表現とかとはてんで無縁な体育会系の奴だったので。

 

辻とはともに東京在住だし、動画とスチールの違いはあれど、同じカメラマンということもあって、それ以来たまにあって食事したりしていた。

 

2012年に2冊目の本『山をはしる』を出版し、その刊行イベントとして何人かとトークショーをした。今をときめくカルぺディエムの代表である石川さんとも、当時彼が率いていたトライフォース青山でトークした。石川さんは写真が大好きな柔術家なので、もってこいだと思いお願いしたのだ。そこに見たことがある奴が座っていた。もう40男だから、随分おじさんにはなっていたけどすぐに分かった。西岡が座っていた。西岡とは20数年ぶり。その日は辻も家族で来てくれていた。今の奥さんと。もうええってかw

 

話を聞くと、なんと西岡もカメラマンになっていた。めっちゃ驚いたけど、向こうも同じぐらい驚いたらしい。俺がカメラマンだと知った時は。

 

辻はその後、奥さんと一緒に「ハイクロス シネマトグラフィー」という映像プロダクションを立ち上げ、キャメラマン兼プロデューサーとして活躍している。「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」や「キャタピラー」など、若松孝二監督の晩年の映画はすべて辻が撮影監督を務めている。

 

辻が企画プロデュースしたWOWOWのドラマ「かなたの子」(坂井真紀、井浦新出演)では、富士山で一週間ともに撮影した。

 

西岡は音楽好きがこうじて、主にミュージシャンを撮るカメラマンとなった。長渕剛さんに信頼されて長らく撮影している。長渕さんが、2015年に富士山麓で行ったあの伝説の10万人ライブにも、当然西岡は参加していて、夜通し行う10万人ライブ、とても一人では撮影しきれないと、俺のことも推薦してくれた。ちなみにあのライブは動画カメラマン30人、スチールカメラマン4人で撮影した。

 

とまあ、ふたりとは一緒に仕事もしているし、西岡は今年のCP+のトークも聞きに来てくれた。最近はみな忙しいこともあり、そんなに会っていないが、同級生が同じ仕事をしてるのも悪くない。

 

あの1987年、和歌山県立向陽高校2Fだか2Gだかのクラス約40人、男子20人のうちの3名がカメラマンになっているのだから、すごい確率である。しかも東京から遠く和歌山県の、芸術系でもなんでもない普通科の高校から。カメラマンになろうと申し合わせたわけでもないのに。

 

で、ずいぶん前置きが長くなってしまったが、今日の主役は別にいる。

 

2Fだか2Gだかのクラスには、個性的な女子が一人いた。

 

俺は和歌山県の和歌山市出身である。和歌山市は県庁所在地だから、田舎とはいえ、ど田舎ではない。

 

とはいっても、和歌山市の端っこにいけば、そこは半島、山なり海なりにぶち当たる。俺の実家は山側にある。

 

彼女の家は、和歌山市の辺境、加太にあった。目の前に海が広がる、鯛とシラスで有名な港町である。市内の中心にある向陽高校まではずいぶん離れている。加太出身だというだけでもパンチがあるのに、その子は明るく気さくで、男女問わず人気があった。テニス部だったし(関係ないか)。後に聞くと、結構気遣いをしていてたので人付き合いは面倒臭かったとのこと。全然そうは見えず、自然な振る舞いに見えていたから大したもんである(笑)

 

彼女のことを好きだった男子もいたはずである。俺がそうだとは言わない。もしかしたら、辻か西岡かも。

 

彼女は高校3年の春にアメリカに留学し、そのまま帰って来ず、向陽高校は卒業しなかった。

 

時は流れ、世をフェイスブックブームが襲う。7、8年前だろうか。

 

仕事柄、当然俺も利用していた。次々と中学や高校の地元の同級生達と繋がっていき、さとぴとも繋がる。井上さとこ、だから‘さとぴ’。あるいは‘浜っ子’。彼女のニックネームである。俺は一度もそう呼んだことはない(笑)。高校時代、唯一話していた女子。かっこつけてた俺は中高の6年間、ほとんど女子とは話していない。まじで井上さとこ、ただひとりだと思う。今じゃあ考えられない(笑)

 

25年ぶりぐらいにフェイスブックで消息を知った彼女はまだアメリカにいた。カッコええなー。プロフィール写真もなんか、西海岸の夕陽を浴びつつのーみたいな、サングラスをかけた横顔のオレンジ色がかった写真だったよ。

 

それで彼女が日本に帰国した際に、俺、辻、西岡と4人で会った。ちなみに彼女はデザイナーになっていた。2013年に奈良県の吉野にある世界文化遺産 金峯山寺でやった写真展にも来てくれた。

 

それから1、2年の間に、彼女が日本に帰国した際に、大阪や東京で何回かみんなで食事をしたが、やはり緩やかに疎遠になっていった。まあ普段いるのがアメリカやからねー。

 

先日の4月7日、立川の立飛アリーナで行われたQUINTETに出場した山本美憂さんをスポンサードしていたのはサンクロレラという会社だった。スタッフにも水を提供してくれていた。会場に来ていたサンクロレラの方々に俺も挨拶させていただいた。

 

 

その際、急にふと思い出した。

「サンクロレラって本社は京都ですか?」

「そうです」

「アメリカの西海岸にもあります?」

「サンノゼにアメリカ本社があります」

「あれ?たぶん同級生がたしかサンクロレラで、西海岸にいるんだけど、デザインをやっているから、もしかしたらこの水のロゴとかもやったかもしれない」

まあでも大きな会社だろうから、デザイナーもいっぱいいるだろうし、分かりませんよね?という話でその場は終わった。

 

本日アメリカの彼女からインスタにメッセージがきた。

「うちの会社、スポンサーしてた」と。

やっぱりそうか。

「ちなみに。ぺットボトルの水のロゴ、デザインした?」

「そうだよ。まあアイデアは社長だけど」

「すげえ!」

という話。世界は繋がっている。

 

思ったより大作になってしまった(笑)。でも辻と西岡は喜ぶに違いない。またそのうちみんなで会おう!

2018.1.9

なかなかにきつい11月、12月だった。

「悪性リンパ腫」の疑いが容易に晴れなかった。

 

 

10月の終わりに、左耳の前面部分と下、左顎下、首にリンパの膨らみを4、5個発見する。病院嫌いの私はまあそのうち消えるだろうと思いほっておいた。しかし2週間ぐらい経っても消えないので、息子を耳鼻科に連れていくついでに私も見てもらう。

 

以下、それからの経緯。

 

11月11日(土)地元の耳鼻科にて診察

11月13日(月)東京医科大学八王子医療センターにて初診察

11月16日(木)針にて生検を採取

11月28日(火)検査結果を聞く。悪性リンパ腫の疑いあり

〈12月1日(金)トライフォースにて撮影〉

12月3日(日)右下親知らずを抜く

〈12月5、6日 実家に置いてある作品を搬入するため和歌山に帰省〉

12月14日(木)入院。手術。右首のリンパ節2個、顎下腺リンパからもひとつ採取

12月16日(土)退院

12月27日(水)検査結果を聞ける予定が、結果出ず。未だ疑いあり

年を越してしまう

 

手で触れて気づいたのは左側だったが、エコーで見たところ実際は左よりも右喉奥に大きいリンパ節があるのが分かり、11月に針でリンパ節の細胞を取って、検査に出したものの、それでは疑いが晴れず、12月に手術してリンパ節まるごとひとつ取ることに。当初は1個の予定が、実際は手術で3個摘出。親知らずを抜いた痛みがまだ残っていたので、正直右側の喉を切るのは嫌だった(笑)

 

そして、本日悪性リンパ腫の疑いが晴れました。

これでようやくスケジュールを立てられる。どうやらまだ地獄の閻魔様には呼ばれなかったようです。なので本日1月9日が実質、私の今年の挨拶となります。今年も変わることなく目の前の階段を一歩一歩登っていきます。みなさま、よろしくお願いします。

 

1ヶ月ぐらい前までは悪性リンパ腫の疑いが晴れたら、ビックリマーク10個ぐらいつけて、やったぜとか打ち込むテンションなんやろなあとか思っていたけど、実際は検査待ちの時間が長すぎたのと、最悪の場合も想定して、不動心というか、喜怒哀楽をあまり出さぬよう、波を作らず気持ちを安定させるように心がけてきたので、疑いが晴れてもあまり浮ついた感はなかった。ただほっとした。病院帰りの空が美しかった。

 

 

まずは、手術した首が痛く、大きく口を開けられないため延期していた歯の治療の続きからだな(笑)

 

ちなみに1枚目の写真は麻酔が切れて痛みで起きてしまった2017年12月15日の夜中2時45分にパチリ。

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エイゲンこと、柔術家 伊藤英元を撮りました。

長らく塾の先生をしていたエイゲンは、人にものを教えることが上手です。明るくお喋り好きな彼にとって、教えることは天職ともいえます。そんな彼に柔術を習ってみるのはいかがでしょう?横浜地域のみなさんに朗報です。その機会ができました!

 

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彼が始めたトライフォース横浜は、横浜駅に近く、お洒落で綺麗な道場です。昨年12月にオープンしたばかりなので、まだ強い人もいなく、いじめられる心配もありません(笑)。その上、エイゲン先生にマンツーマンに近いかたちで教えてもらえます。そんな機会は今だけです。興味はあるけれど、今までなんとなくブラジリアン柔術に触れるチャンスのなかった、そこのあなた、これを逃したら今度はまたいつになるか分かりませんw 物事はきっかけがすべてです。
 

トライフォース横浜をよろしくお願いします!

http://www.tf-yokohama.com/

 
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ちなみに写真では、すましたカッコイイ感じになっていますが、本人はもっとくだけた人懐っこい奴です。心配ありません。大丈夫です(笑)

 

 

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写真雑誌「フォトコン」において、20171月号より、一年間『井賀論。』を連載します。


写真と文章による一応写真論でありますw


全国の普通の書店、カメラコーナーに置いてあります。


1回目のテーマは、

なぜ写真を撮るのか」です。


ぜひご一読ください。

久しぶりに長文を書かねばならない。

原稿執筆で忙しい中、とりわけ他のことで文章を書きたくないのと、他の写真家やアーティストなどの展覧会や出版物などにコメントをするのが苦手、本当に良ければ書きやすいがそうでない場合気を使いながら書くのが億劫という理由で、最近はSNSで長文を書いていない。


だが、桑嶋維(くわしまつなき)である。

こいつのことなら書ける。書かねばならない。


出会って約20年、お互いまだ何者でもない頃、今は亡き伝説的編集者、林文浩が編集長を務めていた雑誌「DUNE」で知り会った。当時のDUNEは、漫画界でいうところのトキワ荘みたいなもので、ファッション、ポートレート、ドキャメント、アート、映画と個性のあるキャラの強い奴らの集まり、顔のない奴は人間じゃない、そんな空気に支配されたところだった(笑)。桑嶋とリアルに最初に会ったシーンはどこだったのかは覚えていない。気がつけば仲良くなり、使っている現像所が同じなのと(ちなみにTCKという)、30代の私が葛飾区は立石在住、彼の実家が台東区の吉原ということもあって比較的近く、立石や浅草でよく飲んだ。だけじゃないな、、都内各地で飲んだわ。よく電話でも話した。おまえら女子高生かよっていうぐらい2時間でも、3時間でもいつまでも喋れた。そんなことを週何回か。「また桑嶋君?」と嫁にあきれられていた程である。自分の名誉のために言っておくと大概桑嶋からの電話だったけどね(笑)。話す内容はそのほとんどまでもが写真や表現について。私のほうが少し先輩だったこともありよく質問や相談を受けた。それとたまに同業者の悪口。あいつはいけてないのに売れてる、みたいな。要は愚痴w


とにかく気が合ったのだろう。私に写真家としての青春時代があったとするならば、それは間違いなく桑嶋と過ごしたその10年だ。お互いまだ何者でもなかったけれど、とにかく若さがあった。


その後、桑嶋が山梨に本拠地を移したのと、私が日本を撮るために山を登りはじめ、お互い生活スタイルが変わったこともあり、以前ほどは連絡を取らなくなった。キャリアを重ねた桑嶋が私を必要としなくなったことも理由のひとつだろう。イギリス留学時代に写真を始め、元々海外志向が強かった彼は、その後、大英博物館に作品が収蔵されたり、イギリスで個展をしたりとどんどん独自の世界観で作品を制作していった。


その一端を伺える作品が、現在、山梨県立美術館で展示されています。彼が考案した「CUBE」という形態で写真を展示してあり、いわゆる‘写真’という既成概念を破ったものです。来週の土日、17日、18日まで、あと1週間やっています。ぜひ足をお運びください。


とにかく桑嶋維に会ってもらいたい。私は彼より面白い写真家に会ったことがありません。いや、彼より面白い奴に会ったことがないと言っても、言い過ぎではないかもしれない。


 「写真家」という生き物は、ある種インテリやくざのような、知的でヤンチャ、そして芸人w、そういった面を持つものでなければならない。そうでなければ凄い写真は撮れない。


写真家でありながら、話す(書く)ことが面白い奴、私以外では桑嶋維だけです。はっきりいって異端です。今のところ。でも常に時代を変えてきたのは異端児と呼ばれる者たち。


桑嶋維に会いに行ってください。


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【写真は桑嶋維の写真を複写したもの】


ちなみにその桑嶋維、6人の子供の父親でもありますw

 
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7月。いよいよ夏山シーズン到来。
富士山も山梨側の吉田口登山道が1日より山開きとなっております。
 
昨年はオフィシャルブックにインタビュー、写真提供というかたちで関わった、
‘富士登山「絆」フォトコンテスト’
 
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今年は審査員として参加します!
 
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私は一年を通して何十回も登っていますが、やはり富士山は特別なお山だと感じます。
 
登ったことがある方もない方も、夏の思い出に、自分を見つめるために、鍛錬に、ご利益を求めて(笑)、日本一の霊峰、富士山に登りませんか?そして心動いた瞬間を写真に収めてください。
 
第12回富士登山「絆」フォトコンテスト2016
奮ってご応募ください!
 
 
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リオオリンピック直前の、7月20日発売、写真雑誌「フォトコン」8月号において、私のブラジル写真をカラーグラビア一挙10ページで掲載します。

みなさんが見たことない写真も多くのるはず。

なんせブラジルには過去11回行っていて、きちんしたカタチになったのは、デビュー作の『ブラジリアン バーリトード』に掲載された1回目と2回目に行ったときの写真のみ。そのほとんどまでもが未発表なのです。

いつか大判で分厚いすごい写真集を出したろと思っていたら、出版不況、格闘技ブーム沈下など、様々な要因が重なって今日まで至った次第(笑)。まあ他にも理由はあるんやけどね。我々の業界の悪癖みたいなものと、俺のこだわりというか。

それはいいとして、ひとりの写真家が、フォトコン誌面において、10ページ級のグラビアを一年以内に2回行うのは、異例中の異例とのこと。藤森編集長いわく。

昨年5月号で10ページ「不二之山_新」、今年の4月号で9ページ「山をはしる」、そして今回のブラジル写真で10ページと。

実はそのすべてまでもを基本、藤森編集長にお任せしている。写真セレクト、レイアウトなど。

本や写真集、写真展などは、逆に私がほとんどやっているが、雑誌の10ページなどは、ひとにやってもらってどう上がってくるかを見るほうが楽しい。

私の信条として、信用できるひとであれば、極力預けれるところは預けるようにしている。全部自分でやってしまうとつまらない。余白を残しとかないと。でないと自分で自分(作品)の可能性を狭めることになる。

いかにひとを巻きこむか、それが俺の仕事の醍醐味だ。

フォトコン8月号、乞うご期待!

結果的にかなり藤森編集長にプレッシャーをかけるカタチとなってしまった(笑)

#ブラジリアンバーリトード2016
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あまり知られていないが、俺はこういう撮影もしている。格闘技、山だけじゃないぜ!誰や、ゴリゴリ系カメラマンなんて言ってんのは。

某有名ADいわく、「井賀さんは詩人なんですよ。」と言わしめたこともある感性の持ち主。アーティストなんですよ、アーティスト。

なんせキャリアの最初の頃は、普通にミュージシャンとかばんばん撮ってたわけですから。なんら問題はありません。使える男です。

これを見たひと、普通に仕事くださいね。
。。無理か。私の友人はほぼ格闘技か山関係につき。残念!

(写真は「朝日中高生新聞」掲載、嵐の松本潤さんと、俳優の東出昌大さん & 窪田正孝さん)


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今月のゴン格「格闘技幸福論」が面白い。なんとこのボリュームを実質、編集長の松山さんひとりで切り盛りしているのだから驚き!

私も微力ながら協力しています。
P56、P57のUFC198大会の写真と、P58~P63までの「シュートボクセは死なず」は私が書いたものです。

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スケジュール的にはきつかった。

5.12日の午後ブラジルに到着して、13日前日計量、14日UFC本番、全日程が終わったのは明けて15日の未明3時半。原稿締切はサンパウロへのフライトが8時だったため、実質6時と。

取材、執筆、撮影で、3日間で4時間しか眠っていない。そこそこ良いホテルのベッドだったのに、そこにいたのは4時間(笑)。加えて日本からブラジルまでのフライト、36時間半でも2時間しか寝なかったため、約5日間で6時間しか眠らなかった。それ故、旅の前半のクリチバは、時間感覚がおかしかった。一種の夢遊病者のようなもん(笑)。すべてが夢うつつというか。久しぶりのブラジルで妙にテンションも上がっていたし。

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個人的には、P72~P76のタダシ・タカシマさんの記事が最高。柔術ってほんと色んなひとがいて面白い。我らが芝本さんや、カルペディエム橋本、岩崎らの世界大会直前インタビューも掲載されています。

もちろん他も盛り沢山。ぜひに!