「外婆的澎湖灣」は、後に「民歌王子」と称されることになる台灣の歌手潘安邦(1954年9月10日-2013年2月3日)が、同名のデビューアルバムの表題曲として収録して 1979年9月1日(11月ともいう)に台灣で発表した「校園歌曲」(こうえんかきょく:學園ソング)です。

筆者注:

 「外婆」とは母方の祖母、つまり母親の母親のことです。

 「澎湖灣」とは台灣南部の嘉義市の西約50キロの海上に位置する大小あわせて90の島々からなる総人口約10万人の澎湖諸島 (ほうこしょとう)にある灣で、港や燈台、砂濱などが連続する風光明媚な入江です。

 「校園歌曲」とは「校園民謡」(キャンパス・フォークソング)又は「校園民歌」(キャンパス・ポピュラーソング)とも呼ばれ、1970年代ごろから台灣で作詞・作曲されて學生・若者を中心に通常ギター伴奏で歌われてきた歌曲のことで、日常の身近な事柄を内容としています。

 日本のフォークソングと同様、1990年代には下火になりましたが、いまでも台灣では歌謡大会やカラオケなどで一般大衆に広く歌われていています。

 「外婆的澎湖灣」は、當時24歳のシンガーソングライター葉佳修(イェ ジャシゥ、1955年2月18日-)が、同じ24歳の新人民歌歌手潘安邦(パン アンバン、1954年9月10日-2013年2月3日)のデビュー曲として作詞・作曲したものです。葉佳修としても他人への樂曲提供はこれが初めてのことでした。

 

 曲作りの前に初めて出会った若い二人は、たちまち意気投合しました。
台灣東部の山岳地帯花蓮縣出身の葉佳修にとっては、澎湖島育ちの潘安邦の故郷の話、なかでも祖母に関する思い出は非常に興味深いものでした。

 

 潘安邦は幼年期を、祖母と一緒に澎湖灣の端で暮していました。
 彼は毎日大好きな祖母の家事のお手伝いをして、しばしば祖母と一緒に浜辺に出て遊び、夕陽の沈む頃祖母に手を引かれて家路についたといいます。

 

 この話にインスピレーションを受けた葉佳修は、即座に「外婆的澎湖灣」を書き上げました。
 その樂曲の内容は、潘安邦がおばあちゃんと過ごした幸せな日々を歌い上げるものになりました。

 

 葉佳修が自分の目の前で書き上げた譜面を見て喜んだ潘安邦は、早速近所の公衆電話に走りました。
 澎湖灣のおばあちゃんに待望のデビュー曲が出来上がったことを告げて、電話口でこの「外婆的澎湖灣」を歌って聞かせました。

 

 ところが、歌い終わってもおばあちゃんの応答がありません。
 一瞬、おばあちゃんの意に沿わなかったのではないかと心配した孫の潘安邦でしたが、すぐに気がつきました。
 電話の向こうで、大好きなおばあちゃんがすすり泣いていることに…。

 

 その後、この樂曲は校園歌曲の枠に留まらず、幅広い年代の支持を受けて、現在では台灣の小學5年生の音樂の教科書にも掲載されています。

 

 今回は、アニメの童謡版と潘安邦の原唱版と蔡琴のカバー版との3種をまとめてご紹介します。
 それぞれ、童謡調、フォークソング調、カントリーソング調の編曲が出色です。 

 

 

 外婆的澎湖灣
 おばあちゃんの 澎湖灣     

                 作詞・作曲︰葉佳修
晚風輕拂著澎湖灣
白浪逐沙灘
沒有椰林醉斜陽
只是一片海藍藍
坐在門前的矮牆上一遍遍回想
也是黃昏的沙灘上有著腳印兩對半

れの風がそよそよと澎湖灣に吹き渡り
白い波は砂濱に押し寄せてくる
夕陽に映えるヤシの林はないけれど
ただ一面の海は青々としている
門の前にある低い壁の上に座って何度も思い出す
たそがれの砂濱の上に二つと半分の足跡があったことを…

 

那是外婆拄著杖將我手輕輕挽
踩著薄暮走向余暉暖暖的澎湖灣
一個腳印是笑語一串消磨許多時光
直到夜色吞沒我倆在回家的路上

それはおばあちゃんが杖をついて私の手を優しく引いていた足跡だった
夕暮れ時に夕陽に暖められた澎湖灣を歩いてゆき
1つの足跡を付けるごとに一連の談笑を交わし、多くの時間を過ごした
帰り道につく私たちを夜のとばりがのみ込んでいった

 

澎湖灣 澎湖灣 外婆的澎湖灣
有我許多的童年幻想
陽光沙灘海浪仙人掌
還有一位老船長

澎湖灣 澎湖灣 おばあちゃんの澎湖灣には
私の少年時代の多くの幻想的思い出がある
陽光と砂濱と海の波とウチワサボテン
そして1人の年寄りの船長もいた…

 

 

【アニメの童謡版】

 

 

【潘安邦の原唱版】

 

 

【蔡琴のカバー版】