秋ですね。暑くもなく寒くもなく過ごし易い気候、夏の緑が少しずつ変わっていくこの一種の寂しさの風情が大好きです。
さて、昨日また携帯を亡くしました。お気に入りのiPhone、まだ買って2ヶ月も経っていないのに残念です(涙)取り急ぎ、もう一つの携帯を持ち歩くので何かあったら連絡ください。携帯紛失は日常茶飯事なので携帯メールは使わないことにしました。
さて、以前見えないものを見るという意味ぷーな話をしましたが、実はあれから頭を離れなくてこれは自分の一つの主軸なのだなあと感じます。最近顔を出している丸の内社会起業家養成講座で、ある障がい者の就労支援活動をされている方と出会いました受益者40名、売上2億(ほとんどを行政からの社会保障費に依存)、スタッフ12名の中規模な施設ですが、理事長の持っているビジョンに強く共感しました。http://katarube.com/index.htm
「障がいを持った人たちが持たない人たちと、共に学び、共に働き、共に語り合う社会を作りたい」、それが出来ない社会は異質なものを排除することによってしか社会を保てない「弱い社会」であると。何気にこの講座で出会う人の意識の高さにビックリする。
大事なのは、やっていること、やろうとしていることが目に見えるということ、だろうなと感じた。ふと、次の3つの演説を思い出した。
>私には夢がある。いつか、ジョージアの赤土の丘に元奴隷の息子たちと元奴隷所有者の息子たちが一緒に座り、友愛のテーブルを囲む日が来るという夢が。私には夢がある。いつか、あの差別の熱にうだるミシシッピー州さえもが自由と正義のオアシスに変わる日が来るという夢が。私には夢がある。いつか、私の子どもたち4人が肌の色でなく中身で判断される、そんな国に住む日が必ずくる。(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、抜粋)
>この国の建国以来、アメリカ人の各世代は国家に対する忠誠を証明するために召集されてきた。その召集に応えた若いアメリカ人の墓は世界中にある。今トランペットの音がわれわれを再び召集している。武器は必要だが、武器をとれという召集ではない、戦ってはいるが、戦うための召集ではない、長い夜明け前の闘争の重荷を肩に背負えという召集なのである。いつも希望をもって喜びを抱き、苦難に耐えながら、人類の共通の敵、専制、貧困、疫病、そして戦争そのものに対して闘うという重荷を。これらを敵にして、北も南も、東も西も、壮大な世界的な同盟をわれわれは作れないものだろうか? その同盟は全人類により実りある生活を保証してくれるだろう。あなたがたもこの歴史的な努力に身を投じてみないだろうか?(J.F.ケネディ、抜粋)
>産業人の使命は貧乏の克服である。その為には、物資の生産に次ぐ生産を以って、富を増大しなければならない。水道の水は価有る物であるが、通行人が之を飲んでも咎められない。それは量が多く、価格が余りにも安いからである。産業人の使命も、水道の水の如く、物資を無尽蔵たらしめ、無代に等しい価格で提供する事にある。それによって、人生に幸福を齎し、この世に楽土を建設する事が出来るのである。松下電器の真使命も亦その点に在る。(松下幸之助)
社会、政治、経済から一つずつ。
ビジョナリー(目に見える)であること。まだ実現していないことにも関わらず、その光景がまさに目に見えるように心に浮かび上がる事。手に取るように、しかもカラーで!(おそらくこれがキモ)。障がい者差別反対、黒人差別反対、アメリカ再建運動、社会の公器としての企業、などと概念で主張しも効果はいまひとつ。目に見えない人に目に見えるようにする事、開眼、啓蒙=エンライト。だから持続可能な社会を、男女均等参画社会を、格差のない社会を、と言われても頭ではわかるが心には響かないのはきっとこのせいだ。映像が浮かぶ事。ビジョンはビジョナリーでなければならない。
あと余談だが、障がい者の就労施設の話で関心したことがあったので二つ追加。重度の知的障がい者や精神障がい者の中で、長時間記憶が続かない、その弱みを活かして、機密情報の封筒詰めや個人情報の取り扱いの仕事をする。長期的に物事を考えられない弱みを活かして、機械にはできない単純作業を繰り返しやる仕事をする(しかもすぐに単純作業を飽きてしまう健常者よりも生産効率はいいという)。ダウン症候群の方の芸術的才能を活かして絵画などの美術品を作る仕事をする。まさに発想の転換である。障がいの弱みを、状況に応じて、強みに変える。仕事の能力が論理的、感情的、分析的、統合的などと得手不得手があるのと同じように、障がいによる性質を能力として活かせる仕事を作る。まさにイノベーションである。
最後に、これは有名な話か。障がいの持つ子供がいる保育園で、子供たちで演劇をやる事になった。その障がいの持つ子供にも、児童の話し合いのもと、ちゃんと役割が与えられていた。それを演劇を観終わり、その事に感動して泣いていた保護者や職員に対して、子供たちはどうして泣いているの?と聞いたという。そう、この泣いている保護者や職員こそ、勝手に作られた何かに捕われていたのだ。
そう、この「何か」、社会通念、常識、既成概念、先入観、固定概念、既存価値観、パラダイム、、、この人々によって勝手に作られた「何か」によって、ぼくたちの存在は気付かずに捕われ、縛られている。この「何か」からの解放、自由とは何かからの解放である。この敵は目に見えなく手強い。目に見えない敵と戦うには、目に見えないものを見る力をもっと高め、研ぎすませなければならない。
大切なぁことは目に見ぇなぃんだょぉ(ゆとり文字風)「星の王子様(オスカー・ワイルド)」また金子さんと飲みにいこう。ではでは秋の夜長を。