先日、外回りで電車に乗ったときのこと。

 

そこそこ混んでいたのでドアの近くで立っていたところ、ドアガラスに貼られた広告に目が行った。

 

韓国料理の「チヂミ」を家で簡単に作れる粉の広告。

チヂミはタネにする素材を選ばないので、定番のニラのほかにも海鮮などさまざまなバリエーションが楽しめる。自分で素材を揃えて、粉と水と卵でタネを作れば、後はフライパンやホットプレートで焼くだけ、という代物。

 

そう言えばしばらく韓国料理のようなものを食べてないなぁ、これなら作れそうだし一丁作ってみるか!と思い立った昼下がりであった。

 

 

その日、仕事を終えて近所のスーパーで帰り道の途中に買出し。

小麦粉などが立ち並ぶコーナーの一角に、「チヂミ作り用ミックス」の棚があった。

自分がかごに入れたのは、昼間見たメーカーの商品・・・・・・ではなかった。

 

厳密に言えば、そのメーカーの商品は取り扱いが無く、競合メーカーの同種商品があったのみなので、それを買ったまでという話。

 

 

自分があの広告を見て高まったのは「チヂミを作って食べたい」という欲であって、そこには「そのメーカーの商品を買う」という必要条件は含まれていなかった。

実は、意識しないうちにこういう行動をとるパターンって意外と多いんじゃないかと思った。

 

チヂミ作りのための商品であるなら、「チヂミを食べる」という行為が先立たなければ需要は生まれない。

そのために、商品の画像よりチヂミのシズル感、またバリエーションの豊富さを謳う広告の座組み自体は正しいものだろう。

 

その先のフェーズ、「うちの商品でチヂミを作ってください!」という訴求要素が心に残らないと、選択肢として選ばれる可能性は少ない。

天ぷらやから揚げのように「難しいものを簡単にできる」というメリットがあればよいのだが、そもそもが複雑ではないチヂミという料理においては、タネ作りで差別化をすることはハナから無理があるだろう。

結局、そうなるとそこの商品が棚に並んでいなければ選ばれないという話で、並んでいたとしても商品の機能・性能が横並びである以上、それ以外の要素(価格、ブランド、イメージなど)で選ばれることになる。

 

広告だけでは埋められないキャズムを埋める、それがマーケティングなんだと感じた出来事。