『オッサンとジジイ2人と桃尻青年』
第9話 『タイトロープ、タイトロープ』
2025年 10月1日(水)
自分的には、いよいよ今日からが本番だ。
今回の旅の一番の目的は Lexias cyanipardus、キアニパルダスオオイナズマだからだ。
【キアニパルダスオオイナズマ♀】
中でも狙いは♂である。♀は採ったことは有るけれど、♂は一度だけ横をマッハで飛んでゆくのを見ただけで、未だ採れていないのだ。
キアニはインドシナ半島に棲む Lexias(オオイナズマ属)の中において最も大きく、且つ最も珍しい。近縁のアルボプンクタータの♀も大きいが、相対的にはキアニの方が勝ると思う。
【アルボプンクタータオオイナズマ♀】
(同♂)
けど、♂に関してはキアニの方が圧倒的にデカい。それを今は亡き蝶界の巨星、蝶太郎さんは、ロールス・ロイスとクラウンくらいに違うとおっしゃっていたそうだ。つまり大きさのみならず、格も違うって事だ。加えて下翅に青色の鮮やかな帯が入るから、美しさにおいても、ほぼ黒いだけのアルボの♂を凌駕している。
【キアニパルダスオオイナズマ♂】

(出典『Thai Butterfly trips』)

(出典『Butterfly of INDIA』)
同じく♂に青帯のあるディルティア(ヤマオオイナズマ)やパルダリス(サトオオイナズマ)とも違う。デカさは勿論の事だが、印象では、より青帯が太くて濃くなる傾向があり、ほぼ青一色で紫がからないように思う。青偏愛主義者だから、個人的好みとしては紫は要らないんである。あとは前翅横縁に灰緑色の紋が強く入らない。この横縁の帯も個人的には要らない。キアニのように僅かしか入ってなくて黒く見える方が、よりメリハリがあってカッコ良く思えるのだ。
【Lexias dirtea ディルティアオオイナズマ♂】

パルダリスの画像は、邪魔臭いから貼っつけない。両者の見た目はディルティアの方がやや黒っぽいくらいで、ほぼ同じだからだ。それに自分の展翅ライブラリーから画像を探すのが億劫なのだ。キアニやアルボのように頻繁には使わないから、何処にあるのか憶えていないのである。このディルティア画像だって探すのにホネが折れたからね。
ディルティアとパルダリス、両者の明確な違いは触角の先。因みにディルティアが黒、パルダリスは黄褐色である。ついでに言っておくと、キアニは黒、アルボは黄褐色である。一見似ている両者の♀は、それで判別できる。
兎に角、東南アジアに採集に行く蝶屋にとっては、キアニはデカくて美しくて滅多に出会えないから特別な存在なのだ。

(画像提供 リュウちゃん)
午前6時半にホテルの朝食を食べ、7時15分くらいにはナムファンに向けて出発する事ができた。
幸い、空は晴れ渡っている。亜熱帯の強い光が眩しい。
小一時間ほど走ったところで、石川さんが突然、歓喜の声をあげる。
『うわー❗もうキシタアゲハの幼虫が蛹になっとるぅー♥️♥️❗❗

(画像提供 リュウちゃん)
すかさず樫尾さんが言う。
『どうせ、99%寄生されてるけどね。』
と、思いきし💦冷水をブッかける。

ハハハハハ…。ナイスタイミングでの意地悪なツッコミに笑ってしまう。やるね、樫尾さん。
石川さんが苦々しげに黙る。折角やっと蛹になって喜んでたのに、即座に地獄に落っことされたんだからさ。そりゃ、そうゆう顔にもなるわな。
🎉いいぞ、🎉いいぞー。ジジィどもの醜い戦いは、まだまだ続きそうである。
ナムファン近くで、車のスピードが突然落ちた。
何じゃらホイ❓と思ったら、前方で何台かの車やバイクが停まっているのが見えた。車から降りている人もいる。その雰囲気を見て、直ぐにコレは絶対に何かあったに違いないと感じた。
近づくにつれ、状況が解ってきた。
見ると、目の前を右から左へと15m幅くらいの川が道路を横断している。しかも結構な水量の激流だ。地形的に見て、本来ここは川ではないだろう。つまり、大雨により道路が濁流に呑まれて、途中で寸断されているのである。それで皆、立ち往生しているのだ。
おそらく台風20号の影響だろう。昨日、ガイドのラーさんから雨の影響でナムファンの宿には入れないと言われたのだが、大雨で雨漏りでもしたんだろうくらいに思っていた。けど本当は道路がこのように寸断状態だったので、物理的に行けなかった可能性の方が高い。自分達はビビらされていた程には台風の影響を受けず、予報で言われていた割には大した事なかったなあと話していた。ところがどっこい。おそらく、この辺では災害級に大きな影響があったのだろう。
此処を渡るとなると、オン・ザ・タイトロープだ。
つまりリスクを負った賭け。綱渡りとなる。川には流されてきた流木が、そこかしこで乱暴に堆積されている。濁流の中は上からは見えないから、水中に何が転がっているかワカラナイ。もしも変な角度で岩や太い木に乗り上げでもすれば、横転する可能性だって有り得る。横転したら、脱出できないかもしれない。脱出できなければ、水死だろう。オマケに、この車のドアは半分ブッ壊れている。明け閉めがスムーズにいかないのだ。陸で開きにくいドアが水中で開くワケがない。そして、たとえ脱出できたとしても、この激流だ。水深も確実に膝よりも上に見える。流されて溺死する可能性は低くはないだろう。
弱気な樫尾さんが、真っ先に悲痛な声で『ダメだ。無理でしょう。』と言う。リュウちゃんも『これは危険ですねー。』と続ける。だが石川さんは『行けんじゃないのー。』と軽く言う。オラは黙り込む。どう判断していいのか迷ったのだ。自分的には危険ではあるが、通るルート選択さえ間違えなければ何とかなりそうな気がした。けど迂闊に行け行けドンドンな事を言って、皆を危険に巻き込むのもどうかと思ったのである。
だが、このままオメオメと退散するだなんて、オラの辞書には無い。向こう岸に渡渉できなければ、目的のキアニポイントへは行けないのだ。ゆえに何としてでも渡らねばならぬ。ならば、どうやって樫尾さんとリュウちゃんを説得しようかと考え始めていた。
車内に沈黙の時間が流れる。皆、途方に暮れているのだ。
そんな時だった。
🎵ブロロロロロー……。
背後から大きなエンジン音が近づいてきた。そして勢いよく4WD車が追い越して行き、そのまま濁流に突っ込んでいった。皆、息を呑んで注視する。
車は大きく揺れながらも強引に進んでゆく。ドキドキしながら、頼むから渡ってくれと祈る。渡れる事が証明されれば、事態は変わるからだ。
そして、やがて無事に対岸まで渡りきった。
『行けんじゃね❗❓』
そう言ったら、すかさずリュウちゃんが『アレは四駆だから行けるんですよねー。』と言う。
確かに…と思った途端、ラーさんが勢いよくアクセルを踏み込んだ。温厚で慎重そうなラーさんの、まさかの行動にビックリして、
えっ❗❓、行くんだ❓
と思ったが、同時に『✌️ラッキー❗』と心の中で叫んでいた。男だねー、ラーさん。コレで、二人を説得する手間が省けたよ。
車は激しく揺れながら濁流を渡る。アトラクション状態だ。下を見ると、かなり水は上まで来ている。タイヤが隠れるくらいの水位だ。

ヤッばー。キュッと体の内側に向けて力が入る。風景がスローモーションのように、ゆっくりと流れ始める。時間にすれば、ほんの数十秒くらいだったのだろうが、とても長く感じられる。
よし、渡りきった❗その瞬間に、車内に大きな歓声が上がる。ピンチを乗り切った。賭けに勝ったぜよ。何か、すげードラマチックな展開だ。兎に角ありがとう、ラーさん。コレで思う存分キアニをシバけるわい。目的地に辿り着けなければ、採れるもんも採れないのだ。
川を渡って10分程で目指すポイントに着いた。
時刻はまだ10時過ぎ。採集できる時間帯に着けて良かったと、胸を撫で下ろす。あのままアソコで渡渉を逡巡していたら、今頃どうなっていた事やら…。或いは意見が対立して罵り合いになり、チームが崩壊してたかもなのだ(笑)。再びラーさんに感謝する。アンタ、スゴイよ。
でも車を降りて、驚く。

(写真提供 リュウちゃん)
何じゃそりゃそりゃ、何じゃそりゃ。
えっ❗、こんなとこなのー❓
ただの原っぱである。信じらんないくらいにツマンナイ場所だ。稲妻大王キアニ様には、およそ似つかわしくない環境である。もっと鬱蒼とした森を想像していただけにガッカリだ。期待値、ダダ下がりやんけー。
マジかと思って樫尾さんに訊くと、この奥がポイントだそうである。但し、1.5kmくらいで行き止まりになるらしい。

そんなに狭いポイントなのー❓んな場所で採れんのかよ❓と不安になる。
だがモノは考えようだ。見方を変えれば、探し回る範囲が狭まるだろうし、歩く距離も少なくなるワケだから、かえって好都合とも言える。
各々、採集準備をして奥へと入ってゆく。自分は遅れをとって、しんがりとなった。
少し歩いただけで、草原は水浸しになってくる。水溜りを避け、道横の草地を踏んで進む。けど15mも行かないうちに、水は踝(くるぶし)近くの深さになった。コレって完全に冠水してるやん。ハイカットの登山靴なので、辛うじてギリ浸水を免れてるって状況だ。ワシ以外は長靴を履いているので、ズンズン前へ行く。

待ってー。
とはいえ長靴組に勝てるワケがない。逸る心を抑えて、慎重に水の少ない所を選んで進んでゆく。
だが、

アッチャー。やがて左から川が流入している所に差し掛かった。正確に言えば、本来は道である坂の上から大量の水が流れて来ていて、川と化している状態だ。見た目、深さは優に膝くらいまではありそうだ。正直、引き返したくなる。けど引き返したところで、あんなツマラン草原に何がいるというのだ。キアニなんか、200%現れないだろう。退屈が待ってるだけだ。
意を決し、浅そうな所を探(さぐ)って進み始める。けれどもアッと言う間に、じゅるるるー。靴の中まで水が浸水。嗚呼……。呻き声が漏れる。この感じ、幼少の頃にオシッコを漏らした時の、あの諦めと意識が薄れてゆくような感覚と同じだ。
もうこうなったら自棄糞(ヤケクソ)である。どうとでもなれだ。
『
うりゃあ〜❗』
叫びながら、ワザと真ん中の深い所を早足でジャブジャブ進んでゆく。石川さんが振り返って見て、声を上げて笑っている。他人の不幸は蜜の味ですかあ。
やっと冠水地帯を抜けて少し歩くと、川に出た。
先行していたリュウちゃんと樫尾さんが立ち止まっている。その向こうは、ゴーゴーと轟音を響かせて流れる濁流である。

(画像提供 リュウちゃん)
しかも川に道が削られて、辛うじて人一人が通れるといった状態である。左側は木とブッシュで(画像は奥の別な場所)、迂回できない。となると、川の際々(きわきわ)の細い踏み跡を進むしかない。皆、呆然となる。落ちたら、確実に死ぬからだ。再び絶体絶命のピンチ。又してもタイトロープだ。たぶん車での激流の渡渉よりも、更にコッチの方がヤバい。マジ綱渡り状況じゃないか。もし渡るとなれば、命懸けでしょう。
どうする❗❓どうするー❗❓
次回、後編へと続く
追伸
後で知ったのだが、台風20号は9月29日にベトナムの北部や中部を直撃。23万戸以上の家屋に損壊や浸水などの被害が出たそうだ。結局、台風20号に伴う洪水や地滑りなどによる死者は少なくとも51人(最終的には90人を越えた)、行方不明者は10人以上。そして、被害額は暫定で約900億円近くに達したという。
ベトナム程ではないが、ラオスやタイでも大きな被害があり、家屋の損壊、崖崩れにより死者や行方不明者が出ている。