JR平野駅からてくてく歩いてこういう商店街に出て来ました
平野南海モール
ここは南海沿線から離れているのに、何故に南海モール
しばらく歩くと、右側へ伸びる遊歩道があります
下を見ると、地面には線路を模したタイルが貼られています
しかも車止めまで
実は、40年ほど前まで南海平野線という電車が走っていて、ここに終点の平野駅がありました
だから、この商店街には近くに走っていない『南海』の名前がついているのです
南海平野線は今池から平野を結ぶ、当時の南海電鉄軌道線(現阪堺電気軌道)の一部で、今池で阪堺線に乗り入れる恵美須町ゆきと、途中の阿倍野で上町線に乗り入れる天王寺駅前ゆきが走っていました
ちなみに、昭和55年に南海平野線は廃止になりましたが、同時に軌道線は阪堺電気軌道に独立しました
少し遊歩道を進むと、東屋みたいなものがあります
このとんがり屋根は特徴あった南海平野駅に付いていたものです
さらに壁には懐かしい絵が描かれています
これは平野線で走っていた205形電車で、実は先ほど行った和歌山電鐵の交通センター前駅のそばの交通公園で静態保存されています
この先で遊歩道は終わり、幹線道路の内環状線(内環)に出て来ます
ここで内環を左に曲がると、阪神高速14号松原線の平野出入口と、大阪メトロ谷町線の平野駅があります
内環を越えてさらにまっすぐ行くと、また遊歩道が復活します
ここには、これも懐かしい南海平野線の路線図がありました
このパネルをよく見ると、『にしひらの』の文字の色が変わっていて、この辺りに西平野駅があったようです
ここの遊歩道はそれほど長くなく、すぐに道路に出て、左から阪神高速の高架が近付いてきます
ここからは高架下が廃線跡です
南海平野線は乗客が少なくて廃止になったわけではなく、むしろ増える要素があったので、当時天王寺が終点だった谷町線を平野線の代替として延伸し、さらにその先の八尾南まで伸ばしました
なので、谷町線天王寺~平野間の駅名に平野線の名残が伺えます
しばらくダラダラ歩いてましたが、何せ40年前に廃止になっているので、痕跡は全く解りません
途中に今里筋にぶち当たり、ここには横断歩道がなかったので、左に行って大きな交差点で横断しましたが、この交差点が中野交差点で、南海中野駅はこの辺りにあったのでしょう
さらに歩くと、近鉄南大阪線の高架が現れ、その下に谷町線の駒川中野駅があります
近鉄は今川と針中野のちょうど中間地点なので、連絡はしておりません
平野線はさらに進んで駒川町、田辺と進んで、JR阪和線(美章園~南田辺間)の高架下に股が池(ももがいけ)がありました
股が池の次が、この前行った文の里 で、苗代田(なわしろだ)、そして阿倍野と続きます
しかし、もう暗くなってきた上に、歩いたところでほとんど何も残っていないので、駒川中野から谷町線で帰ろうと思います
ご拝読下さりありがとうございました
おわり