待っていた高野線の各駅停車金剛ゆきがやってきました
その電車は、希少価値の高い片側4ドアの片開きドア車です
製造は昭和43年、新今宮駅開業の2年後です
しかし、この電車の引退が決まっています
さて、新今宮の次が萩ノ茶屋で、高野線のみにホームがあります
よってホームが無い南海線はすべて通過します
その次が天下茶屋で、高架化後は見違えるほど立派になって、地下鉄堺筋線が伸びてきたこともあって、今ではなんば、新今宮に次いで第三のターミナルと化し、高野線、南海線ともすべての電車が停まります
今から30年前、高架化前の天下茶屋は各停、普通のみが停まり、当時しか知らない人がここを見たら浦島太郎の心境になるでしょうね
ちなみに、新今宮開業前はここから天王寺まで支線が出ていて、乗客だけではなく、一時は貨物も運んでいたようです
高野線は、天下茶屋を出ると左にカーブして南海線と別れ、
岸里玉出に着きます
ここのホームはやたら長くて、堺東側は通せんぼになってます
この駅は元々岸ノ里という駅名でしたが、南海線が高架化して名前が変わったと同時に高野線ホームがなんば側に移動しました
その移動する前のホームが通せんぼになっている箇所です
旧ホームの下にはチンチン電車(阪堺電気軌道)が通っています
反対側のなんば側に出口へ向かう階段があるのですが、かつての南海線は高野線と別れたところで地べたに降りていました
そして、高野線から真っ直ぐ伸びる線路が分岐して、通称汐見橋線と繋がっていました
そもそも汐見橋線が本来の高野線で、昭和一ケタ時代に高野線の電車はすべてなんばまで直通するようになり、残された岸里玉出~汐見橋間はローカル線になってしまいました
しかし、高野線と汐見橋線はずっとレールが繋がっていましたが、南海線の高架化の際には完全に縁が切れてしまいました
それでは細かく岸里玉出駅を探検してみたいと思います
まずはやたら長い乗り換え通路を進みます
ちなみに、高野線と南海線との乗り換えは隣の天下茶屋で行われ、ここで乗り換える人はほとんどいません
ここは各停(普通)しか停まらんし、おまけに岸里玉出~天下茶屋間の重複乗車は認められているので、誰も好き好んで不便な乗り換えはしないでしょう
つづく