失敗車両は長寿車両 | 伊賀國に住むおっさんのきまぐればなし

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京阪神や名古屋近郊を中心に、近畿・東海地方を気ままに電車に乗ってブラブラ歩きます。

近鉄名古屋駅。

④番のりばの大阪難波からやって来たアーバンライナーはすぐに車庫に引き上げ、そこに16時30分発の特急がやって来ます照れ



その特急は、何と先ほど窓口のイラストで描かれていた車両ですポーン




この特急は8両編成で、前になる4両はこれから標準色になる車両で、こちらには喫煙室が付いてます口笛




それでは車内に入りますニヤリ




この車両には喫煙室がなく、2月1日からこのタイプの特急は全車禁煙席になるのですが、乗ったこの日はまだ1月26日なので、肘掛けにある灰皿を遠慮なく使わせていただきますニヤリ




この特急はすぐに発車して、走り慣れた線路をいつもの如く何食わぬ顔で駆け抜けますチュー





この特急車両は1969年(昭和44年)にデビューして、翌年の大阪万博に合わせて大量増備されましたおねがい

また、近鉄自体も万博に合わせて当時の終点大阪上本町駅から大阪難波まで延伸したり(その時点で現在の阪神なんば線も開通する予定でした)、伊勢の宇治山田から鳥羽までの新線を建設し、さらに現在の志摩線を改良して賢島まで直通できるようにしたり、イベントが盛りだくさんでした笑い泣き





一方、近鉄特急の代名詞ともいえる名阪特急は東海道新幹線の影響をまともに受け、当時は2両編成でも充分賄える位の酷い有様でしたガーン




そこで、ビスタカーにつづく目玉を!ということで、運転室後ろにスナックコーナーを設けて、そこで調理したものを座席まで持って行くというサービスを始めましたびっくり

当時は結構しっかりとした料理が出されていたようですチュー



それでこの車両には『スナックカー』という愛称がありますウインク







しかし、これも結局は名阪特急復活の打開策にはならず、肝心のスナックコーナーも早々と営業を辞めてしまいますえーん

わたしの子供の頃は、まだスナックコーナーのカウンターが残っている車両も見かけたことがあります口笛



ちなみに、名阪特急は昭和50年代の当時国鉄の度重なる大幅値上げで乗客の国鉄離れが進み、何もせずに新幹線開通前のシェアを取り戻し、昭和の終わりにアーバンライナーが登場して大人気を博し、


令和になった現在、まもなく『ひのとり』がデビューしますラブ



また、スナックコーナーのような供食設備は、『しまかぜ』で復活させていますチュー




当時はスナックカー自体は失敗に終わりましたが、後輩達が活躍を続けているので、齢50を過ぎた今、ようやく安堵して引退を迎えられるのではないでしょうか笑い泣き


こう書くと、スナックカーは何の特色もない車両みたいになるので弁護の意味も込めて書くと、このスナックカーは近鉄特急で初めてリクライニングシートを採用しております笑い泣き





思えば、スナックカーは地味な存在でしたが、それが長寿で生き延びれたのかもしれません照れ




引退までまだ時間がありますが、これから運用が減るだろうと思うので、しっかりと目に焼き付けておきますプンプン

しかし、オレンジ色に青色の塗装は、わたしが物心が付いた時からあり、近鉄特急と言えばこの色だったので、これが見れなくなるのは非常に残念ですえーん


おわり