いがぐりこです。


いろんな心理学や自己啓発を渡り歩いて、

人目を気にしちゃう自分をなんとかしたくて。

うまく人付き合いできない自分を

なんとかしたくて。

あれやこれやと手をだして。



一度は大丈夫って思えたのに、

しばらく経つと

やっぱり姑の目が怖くて。


大姑に、嫌味や文句を言われるのが怖くて。

舅に、疎まれているんじゃないか怖くて。


知らない土地でママ友ともうまくやれず。

地域の風習にも馴染めず。

不満ばかりが募って。




大切なはずの子どもを

上手く可愛がることもできず怒鳴ってばかりで。


「私なんかじゃなくて、

○○ちゃんのお母さんみたいに

もっと優しくて包容力のあるママだったら、

この子の自己肯定感は破壊されずに

もっとのびのびと自分らしく生きられたんだろう。」


そんな風に自分を責めていた。




「私みたいな嫁じゃなくて、

もっと地域想いで、この土地の風習に慣れていて、

人付き合いが上手くて、家仕事に長けていて、

もっと気配り上手な嫁だったら、

この家の人たちは

幸せで安泰していたんだろう。」


そんな風に思っていた。

 








そこから抜け出せたのは。



やっぱり、


「いい嫁になろうとするのをやめた」

「いい母親になろうとするのをやめた」


その時からだなぁ。





んで、この、

「いい嫁になろうとするのをやめる」

「いい母親になろうとするのをやめる」ってのは、


わたし的に

「なろうとするのをやめる」ってのが、

ものすごくポイントで。





「いい嫁をやめる」じゃないのよ。

「いい母親をやめる」じゃないのよ。



そもそも

「いい嫁」「いい母親」だと思えていないから、

苦しんでるのであって。


ちょっとしたニュアンスの違いなんだけどね。




「なろうとするのをやめる」ってのが

当時のわたしにすごくしっくりきたし、

この言葉で、すごく楽になった。






ときどきこの界隈で

「○○してもいい」の濫用で

常識もなにもかも捨てて

ウェーイ!!ヽ(゚∀。)ノ!!!

ってなってる変な人を見かけるけど、



もし、自分の中ですでに

「いい嫁」「いい母親」の部分があると認識しているのなら、

わたしは、それをやめなくてもいいと思う。





「いい嫁をやめる」じゃないのよ。

「いい母親をやめる」じゃないのよ。




「いい嫁になろうとするのをやめる」

「いい母親になろうとするのをやめる」





誰かに気に入られて、

いい人になろうとするのをやめる。






それは、


人間関係においてこれ以上、

誰かの心証を自分の都合のいいように

コントロールしようとするのをやめる ということ。










さてさて。

わたしは、出張で、東京行きの新幹線の中です。




今日は朝も早よから、

旦那が子どもたちを連れて、

映画に連れて行ってくれた。

ありがたや〜(*^_^*)





しっかし、

夏休みってすごいのな!!

新幹線めちゃ混んでるぅ〜(゚д゚)!



今日はコバの起業支援スクールプロコース9期の開講日! 

おかげさまで満席だそうです♪

すごい!



明日明後日は、

心屋塾マスターコース101期コバマス東京。


アシスタントです。

静岡から東京に行って来まーーす!



心屋塾マスターコースは、

来週末からスタートする


本日受付締め切りです。



ご参加お待ちしてます(*^▽^*)