あなたは普段の生活で、

手のひらのこと、気にしてる???

手の甲のこと、意識してる????




毎日毎日、

手のひらのことを心配して生きるみたいに、


ポジティブなことに

フォーカスしすぎて生きているのって、

なんだか不自然なこと。







人生を楽に生きたいと思ったとき、


素晴らしい部分を増やそう

あるいは

素晴らしい部分にフォーカスしよう


とする人が多いが、

この作戦は、なかなかうまくいかない。






ポジティブな部分がでっかい人は

必ず、

ネガティブな部分もでっかい。





素晴らしい部分をたくさん見付けられる人は、

ダメな部分もたくさん目に入っている。





ポジティブな面も

ネガティブな面も

ふたつでひとつ。





手の甲と手のひらみたいなもの。

 


たとえば、

手のひらがポジティブな面で

手の甲がネガティブな面だとしたら、



手のひらがでっかい人は

当然ながら、

手の甲もでっかい。




つまり、手そのものが、でっかいということだ。





だから、


ポジティブな面だけにフォーカスして

「私は素晴らしい」「私は凄い」「私はラッキー」

ということだけに目を向けて、



よーするに、

手のひらだけを見つめまくって

人生を楽に生きようとしても、

それは、うまくいかない。





どんなにポジティブな面に目を向けても

ひっくり返した裏には

いつも必ず、手の甲が、ある。




いつまでたっても

手の甲は、消えない。



いつまでたっても

苦しいまま。



だって、


ポジティブな手のひらを見つめて、

でっかくなればなるほど、

重要度が増せば増すほど、

ポジティブな面に目を向けようとすればするほど、




裏にある

手の甲もでっかくなるんだもの。


そして、裏には手の甲があることを

本当は知ってるんだもの。


どんどん、恐怖がでっかくなる。






だから。




人生を楽に生きたいと思ったら、

ネガティブな面と

向き合うのがだいじ。




ネガティブな面を

ああ、あるねー。

手の甲あるねーーーーー。


って、認めるのがだいじ。




うん。うん。

手の甲あるよねーーーーー。

って、感じてみる。






誰だって

自分のネガティブな面を見るのはイヤなことだけど、



重要なのは

自分のネガティブな部分をどれだけ見つめて

どれだけ受け入れられるか。



どれだけ手の甲があると

認められるか。





手の甲をみとめたら、

手のひらもあったことに気づく。



手のひらがでっかくなっても、

手の甲の存在を認めているから、

怖くない。





そして、そのうち、


普段の生活で

手の甲のことなんて、気にしなくなる。

手のひらのことなんて、気にしなくなる。





つまり、

手のひらのこと(ポジティブなこと)に

あまりにも過剰にフォーカスしすぎるのは、

とても不自然なことなのだ。





手のひらについて

あまりにフォーカスしすぎるときは、


それだけ、


裏には手の甲があると認めることを、

極端に、恐れているときなのかもしれない。





人間、

ネガティブな面を持ってることくらい

当たり前のことだし、

フツーのことなんだ。






あなたは普段の生活で、

手のひらのこと、気にしてる???

手の甲のこと、意識してる????




毎日毎日、

手のひらのことを心配して生きるみたいに、


ポジティブなことに

フォーカスしすぎて生きるのって

なんだか不自然なこと。



そして、それをやるのは、とてもしんどい。





手のひらも、手の甲も、

あってフツー。

両方見えてフツー。





時々、手を怪我したときに、


「あー。手が使えるって、ありがたいなー。」

「手って大事だなー。」

「手が使えないって不便だなー。」と
  

思うくらいのものである。





なんでもない時に

常に意識し続けてるのは、

ただ、怖さを見ないようにしているだけだと、

わたしは思う。












一応書いておくが、

「障害や事故や病気で手がない人はどうなるんですかっ!!」

とか、この話は、そういうことではない。

ただのたとえです。